後藤勇太(ごとうゆうた)さんが、世界ナゼそこに日本人 世界でナゼか大感謝されている日本人として出演されます。
後藤勇太さんはカンボジアで生活されていて35人の貧しい子供達を育てて感謝されているそうです。
しかも後藤勇太さんは日本に奥さん(嫁、妻)を残してカンボジアで貧しい子供達と暮らしています。
後藤勇太さんは自身の私財を投げ打ってまでしてカンボジアの孤児院で子供達を育てているのでしょうか?
しかも後藤勇太さんは寄付にあまり頼らずに孤児院での生活をしようとされているそうです。
番組でも紹介されると思いますが後藤勇太さんがなぜカンボジアで暮らしているのかwiki風に調べてみました。
では、さっそく
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コンテンツ
後藤勇太さん(カンボジア)ソク孤児院
引用|https://tsunagu-youme.com/#me
後藤勇太さんはカンボジアのアンコールワットがある町のソク孤児院で35人の子供達と生活して面倒をみています。
後藤勇太さんは35人の子供達の父親的存在になっています。
孤児院は創立13年目にありこの孤児院はカンボジア人のソクさんが創られたそうです。
孤児院には両親がいない子供や経済的理由や身体的にハンディーキャップがある子供達など様々な理由で預けられた子供達が35人で共同生活をされています。
後藤勇太さんは、この孤児院の子供達の父親的存在として子供達と暮らして生活し孤児院の運営などもされています。
最初の運営者はカンボジア人
もともとはカンボジア人のソクさんが運営されていましたが、孤児院の運営にはお金がかかりそのお金をNPOや寄付などで生計を立てていましたが、支援の手はすぐに打ち切られたりしてカンボジア人オーナーが借金をして子供達を支援していたそうです。
カンボジアにはたくさんの孤児がいますが、社会福祉省に正式に登録されている孤児院と孤児の数字よりはるかに多い孤児がいるそうです。
そして悪質な孤児院なども存在して寄付や援助の目的で子供達を道具として使う「孤児院ツーリズム」あるいは「ボランツーリズム」と呼ばれるビジネスの温床となっている施設もあるそうです。
ソク孤児院はそんな孤児院とは違いますが、たくさんの支援があった孤児院ですが気づけば支援がなくなっていたそうです。
支援の手を差し伸ばされてもすぐに打ち切られたり、サポートをする団体などがあっても長くは続かなかったそうです。
そしてソク孤児院のお金が底をつきボランテアや支援をされていた後藤勇太さんに助けを求めてきたそうです。
孤児院で暮らしている子供たちは皆、兄弟みたいのもので孤児院がなくなればみんなバラバラになってしまうと子供達が助けを求めました。
そして今までボランテアや物資の支援などの援助をしていた後藤勇太さんですが支援やボランテアをしていたそうですが、なぜかしっくり来なかったそうです。
そして考えたのが孤児院が支援に頼らずに孤児院自ら自立を考えたそうです。
支援に頼っていたのでは支援がなくなったら路頭に迷うの繰り返しでその度に苦労をされていたので気がついたら自分たちでやらないといけない状況にもなったそうです。
そして孤児院はアートの授業を取り入れ、デザインや制作そして販売などを勉強して自立して生きていくスキルを身につける取り組みをされています。
合言葉は「do my best , do our best(ベストを尽くして最善を尽くす)」そして「Never give up(あきらめない)」をスローガンにされて子供達と頑張っています。
確かにいつまでも子供ではありませんので将来の自立の為にも良いことですね。
しかしなぜ後藤勇太さんが子供達の父親的存在になったのか気になりますね。
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後藤勇太さんの活動理由や経歴プロフ
引用|https://tsunagu-youme.com/#me
後藤勇太さんは日本に生まれています。
1986年生まれの愛知県みよし市出身です。
現在はカンボジアの孤児院で35人の父親的存在になっていますが後藤勇太さんは母子家庭で育ったそうです。
後藤勇太さんは幼いときから「父親」と言うものについて考えてきていたそうです。
父親になるのが夢だった!?
20年前に後藤勇太さんが小学生のころ、朝起きたら母親から突然告げらた言葉があったそうです。
それは「今日からうちにお父さんはいません」と告げられました。
父親と母親が離婚してしまったそうです。
幼い後藤勇太さんには衝撃から「頭の中にザザーッとテレビの砂嵐のような音がしたのを覚えている。」と言われています。
それから父親の顔も声も忘れてしまったそうです。
よほどショックが大きかったのでしょうね。
父親の記憶がほとんどなくなるくらい、父親と生き別れたという出来事はよほどインパクトがあったそうです。
それから後藤勇太さんは「父親」について考えるようになったそうです。
子供もの頃は母と祖父母、男3人兄弟で育ち後藤勇太さんは長男だったそうです。
離婚して出て行った父親を恨んでいましたが、その反面父親の存在の意味や理想を考えるようになったそうです。
普通の人がもつ夢で社長になりたいや、公務員になりたいという夢ではなく理想の父親になりたいと思うようになったそうです。
後藤勇太さんは理想の父親として自分なりにかっこいい父親と言うものを常に考えて生きていたそうです。
・世界をたくさん自分で見て回る
・最高と最低を経験して話せる
・人に雇われずに生きてみる
・世界中に友達がいる
・世界一愛してるを毎日伝える
この他にも理想の父親として「かっこいい父親リスト100」なども考えていたそうです。
大学進学で人生を考えた?
そして大学に進学しますが、わずか3日で大学やめていまします。
理由は大学の入学式で「頑張れば生涯賃金2億円は稼げる」と言葉に違和感を感じてわずか3日でやめてしまいます。
それから好きな時に好きな場所で好きな人とメシを食うと決め、一度も就職をせずに個人事業主として様々な仕事して、その中で次第に海外の魅力にひかれました。
そして22歳の時に英語も話せない状態でカナダにワーキングホリデーで留学します。
日本とは全然違う環境でスタートしようとした時にアクシデントで椎間板ヘルニアと椎間板狭窄になり歩けなくなったそうです。
手術をしましたがすぐに再発し長いリハビリ生活になったそうです。
辛いリハビリ生活を留学中に知り合った仲間や友達に励ませれリハビリを頑張り歩けるまで回復しました。
そして世界中を回る放浪生活をスタートされます。
ヨーロッパ、南米、アメリカをまわり東南アジアのフィリピンで衝撃的な光景を目にされたそうです。
過去に日本でテレビで見た光景が後藤勇太さんの目に入ってきました。
それはゴミの中でゴミを拾って生活する子供達の光景でした。
後藤勇太さんはその光景を見て「このままじゃいけない。自分の人生、なんとかしないと」と考えたそうです。
そんな衝撃を受けてカンボジアに訪れたのが26歳の時でした。
初めて訪れたカンボジアでしたが後藤勇太さんは、なぜかカンボジアが好きになったそうです。
そしてカンボジアでボランティアをして日本とカンボジアを行き来します。
気が付いた時にはカンボジアが拠点となっていたそうです。
ボランテアをしていましたが、物資を届けたり、物作りをしていましたがしっくり来なかったそうです。
その時にボランティアで関わっていたのがソク孤児院だったそうです。
その後孤児院が資金難になり孤児院の子供達が後藤勇太さんに助けを求めてきたそうです。
そして孤児院の35人の父親的存在になりました。
自身が母子家庭で育ち父親と言うものを考えていましたので父親のように子供達に接しているそうです。
時にはよき父親でもあり、兄でもある存在になっています。
しかし2018年に後藤勇太さんは本当の父親になります。
後藤勇太さんは結婚されており奥様との間に子供が生まれ36人の父親になりました。
しかし現在、奥さんと子供さんは日本で暮らしています。
カンボジアでは乳児を育てるより日本で育てた方が良いとでも考えたのでしょうか?
今回の番組の放送で奥様(嫁、妻)の出会いや馴れ初めなども話されるかもですね。
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ソク孤児院のネックレスなどはどこで買える?
ソク孤児院では、アートの授業を取り入れ、デザインや制作そして販売などを勉強して自立して生きていくスキルを身につける取り組みをされています。
そして子供達がデザインしたネックレスなどが出来上がっていて販売もされています。
ネックレスはたくさんの人の協力によって出来上がっています。
種類は6種類ありとても素敵な子供達の意味が込められたネックレスになっていました。
「MIRAIブランド」では、月と太陽をモチーフにした未来の物語をイメージされたネックレスがありとても素敵なデザインと意味になっていました。
太陽とみかづきをモチーフにしたデザインは明るさ楽しさ7割でゴールドで表されており、暗さ、寂しさは3割ほどはシルバーで表されています。
どんなに辛いことやさみしいことがあってもいいことの方が多いと願った少女は、父親が亡くなっており天国のお父さんが助けてくれると言う想いからデザインされています。
他にも様々な子供たちの境遇などからもデザインされておりとても意味のあるネックレスとなっています。
販売はネットでされていましたので「MIRAIブランド」と検索すればショップが出てきます。
ネックレスの他にもトートバックやスマホリングなどもありネックレスは3500円で販売されていました。
MIRAIブランドとは?
「離れ離れになりたくない」という孤児院の子ども達。
「学校に通えなくなるのはイヤ」という小学校の子ども達。「そのためには何ができる?」「私たちは何をしたらいい?」
子ども達からのそんな声を聞いて、ボランティアや支援でもない共存・共生を掲げて、カンボジアの子ども達と一緒に立ち上げたブランドです。収益は孤児院、小学校の施設維持費はもちろん、子ども達が大人になった時の未来の資金として貯金されています。
共に笑いあえる未来を、小さなデザイナーたちと一緒に描いていきます。
合言葉は『Do our best』
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最後に
後藤勇太さんが今回、世界ナゼそこに日本人 世界でナゼか大感謝されている日本人として紹介されます。
後藤勇太さんはカンボジアで孤児院をされており、支援などに頼らずに自立された孤児院を目指していました。
カンボジアのソク孤児院の子供たちに助けを求められて現在は父親的な存在になっていました。
私生活でも本当の父親になり理想の父親として日々子供達と向き合っているそうです。
しかし現在は日本に奥さんと子供さんを残してカンボジアで生活されています。
まだ生まれたばかりなので奥さんと子供さんは日本で生活されているのかもしれませんね。
ゆくゆくは家族で暮らすことなども考えているのでしょうか?
番組では、これからのことなどは言われるでしょうね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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