今回は、賀曽利隆さんについて調べてみます!
賀曽利隆さんはバイクで世界を周り地球40周分も走り続ける鉄人ライダーとして、日本テレビ「笑ってコラえて」で紹介されています。
加曽利隆さんは、日本人ライダーとして初めて、パリ・ダカールラリーに参戦され、日本人初の「サハラ砂漠往復横断」をバイクでされています。
現在は、加曽利隆さんは70歳を超えていますが、バイクに乗り続けていて現役バリバリなんだとか!
そんな加曽利隆さんは「鉄人ライダー」や「不死身のカソリ」などとも言われています。
加曽利隆さんは、「生涯旅人」と自身でも言われていて、人生も気になります。
そして、加曽利隆さんを支えている、家族などあれこれ調べてみました!
では、さっそく♪
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賀曽利隆さんWIKI風プロフィール
まずは加曽利隆さんのプロフィールからですね!
名前:加曽利隆
読み方:かそりたかし
生年月日:1947年9月1日
出身:東京都中野区
加曽利という名前から、珍しい名前で「かそり」と読みますね。
現在は、70歳を超えていますが、「生涯旅人」と言われていて、バイクで旅を続けていて、これまでに地球40周分も走り続けている、ライダーです。
加曽利隆さんは、学生時代からバイクが好きで、1968年の20歳の時に海外に行かれています。
きっかけは友人に言われた一言から。
「アフリカなんてこんなもんじゃないぞ」
そして、アフリカ一周を決意し、バイク旅人人生が始まっています。
賀曽利隆さんバイク旅人生がヤバい!
友人に言われたことで、アフリカ行きを決めた加曽利隆さん。
アルバイトで約2年、資金を貯めてアフリカに渡っています。
そして、1968年から2年余りをかけて、アフリカ大陸一周60,000kmを達成されています。
アフリカ大陸には、友人と一緒に渡り、旅を1年間共にされています。
友人は、最初の計画通り、アフリカ大陸横断の計画を成し遂げ、帰国されていますが、加曽利隆さんは、旅を続け結果的に「アフリカ大陸一周」を成し遂げました。
加曽利隆さんは、この時に「こんな面白いことはない。」と思い、旅人としての人生がスタートされています。
そして、20代はバイクやヒッチハイクで世界を旅します。
1971年から1972年に世界一周をされ、1973年から1974年に六大陸周遊ををされ、世界で旅を周っています。
1975年に加曽利隆さんは結婚をされていますが、旅人としての人生は辞めることなく、奥さんと赤ちゃんを連れて、シベリア横断、アフリカ、キリマンジャロ登頂にまで、挑戦されています。
1982年には日本人初のライダーとして「世界一過酷なモータースポーツ競技」パリ・ダカールラリーに参戦されています。
日本人初の偉業は続き、1987年には、バイクで「サハラ砂漠往復横断」の偉業も達成。
加曽利隆さんは、日本人がバイクで踏み込むことが出来なかったところにも果敢に挑み、サハリン、インドシナ半島、韓国、中国と世界を旅しています。
30代のころから、日本を初めてバイクで一周され、自身の各年代での日本一周をライフワークとされています。
現在は70歳を超えられていますが、「生涯旅人」を貫き通しています。
はっきり言って人生を好きなことに捧げてきていますが、加曽利隆さんの家族や収入はどうなっているのでしょうか?
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賀曽利隆さんの家族や収入は?
加曽利隆さんは、上記にも書きましたが、20代の頃に結婚されています。
子供さんは、なんと3人いて息子さんと娘さんが2人います。
現在、子供さんは成人されているそうです。
世界を旅されていて、結婚もされ子供を連れて世界を周っていますが結婚式もあげていて、その費用がなんと1万円であげています。
1975年3月には結婚した。自慢にもならないが、結婚資金などは一銭もない。
で、どうしたかというと、1万円で保育園を借り、全費用が1万円という結婚式をあげたのだ。
引用:http://kasori.blog25.fc2.com/
一体どんな式だったのでしょうか?
奥さんは看護師をされているようですが、加曽利隆さんが旅ばかり出ていて不満もあるようです。
女房には「あなたって、いつも日本一周をやっているようなものなのね」と皮肉まじりにいわれてしまいました。
引用:http://kasori.blog25.fc2.com/
子供が生まれても、旅を辞めることはなく、「生涯旅人」をされていますので、はっきり言って自由人ですね。
気になるのが、加曽利さんの仕事で収入です。
加曽利隆さんは、旅人ですがライターをされています。
バイクで世界や日本中を周っている経験があるので、記事を書くことはできますね。
そして、加曽利隆さんは多くの著書も出されていますので、ライターや本の収入があると思われます。
加曽利隆さんのように、バイクでアフリカ大陸一周や日本一周されていると、その業界では有名になりますので、講演会やスポンサー契約などもありそうです。
しかし、若い頃などは、苦労もあったようです。
女房には「悪いな、悪い、悪い‥‥」といって頭を下げ、家にあった金を全部かき集めて10万円。
「なんとしても、この10万円で日本を一周してやる!」
という覚悟で“超極貧旅”に旅立ったのだ。引用:http://kasori.blog25.fc2.com/blog-entry-392.html
奥さんのことを考えると、大変な旦那さんだったと思いますが、加曽利隆さんは若い頃から旅をされいますので、よき理解者なのかもしれませんね。
賀曽利隆さんギネス記録は温泉?
加曽利隆さんは、バイクで世界や日本を旅されていますが、ギネス記録もあります。
しかし、バイクでのギネスではなく、温泉のギネス記録です。
加曽利隆さんはバイクの旅以外に温泉も楽しんでいます。
海外を旅していると、日本が温泉大国だということに気が付いたそうです。
日本は、北から南まで無数の温泉がありますあが、オーストラリアで2万キロ以上走りましたが、その際に温泉に入ったのは10湯も満たなかったそうです。
日本人にとって温泉は、当たり前のようですが、「このような国は世界中探してもないと」加曽利隆さんは、言われていました。
そして、日本中の温泉を巡りなから日本という国を見てみようと思い、日本中バイクで周りながら温泉も巡っています。
ギネス認定を受けたのは、60代で国内300日3000湯ツーリングを達成されたことです。
300日で3000湯ということは、単純計算で1日に10湯ペースで温泉を巡ることです!
移動もありますし、3000湯ってすごいですね。
ギネス記録ってなんでもありなんですねw
賀曽利隆さんの今現在は?
20代で世界に挑戦し、旅を始めた加曽利隆さん。
30代からは日本一周をテーマに、40代、50代、60代と日本一周をされ、70代になられた加曽利さんはまだ、旅をされています。
自分のやりたいことをされていて、本当に羨ましいですね。
加曽利隆さんは、「不死身のカソリ」「強運のカソリ」と呼ばれています。
世界中をバイクで旅をして、危険なめや命に関わることなどあり、乗り越えていました。
●エジプトの片田舎ではイスラエルのスパイ呼ばわりされ、暴徒と化した群衆に袋叩きにされる(第三次中東戦争)
●パキスタンでは28日間も下痢がつづき、「下痢死ぬ、下痢死ぬ」と呻く
●アフガニスタンのアジアハイウェイではバイクの居眠り事故で気を失って反対側車線に倒れる
●インドネシアのスンバワ島のヒッチハイクでは、トラックの荷台に乗っているときに垂れ下がった電線を顔面にひっかけ、電線があと10センチ下の首に入っていたら間違いなく死んでいたと言われる
この様なことがあり、乗り切ったことから「不死身のカソリ」「強運のカソリ」と言われていました。
不死身や強運と言われていますが、過去には肺腫瘍が見つかったり、突然の心臓発作に襲われたりもされていました。
しかし、一命をとりとめたりされていましたので、まさに不死身や強運の持ち主なのかもしれませんね。
バイクで旅をするのに一番大切なのが、健康な体だと思いますので、無理をせずに頑張っていただきたいですね。
90歳で日本一周できれば、バイクでのギネス記録を得られるかもですね。
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最後に
今回は、加曽利隆さんについて調べてみました。
加曽利隆さんは、バイクで世界中、日本中を巡りその距離は地球40周分にもなるそうです。
20代から様々な偉業を成し遂げ、70代になった今現在も、現役で「旅」を続けています。
そして、現在はライターとしても活躍されていますが、若い時はたった10万円で旅に出たりと、なかなか凄いことをされていました^^;
結婚もされて、奥さんと子供さんもいらっしゃいますが、家族は大変だったのかもしれませんね^^;
しかし、偉業を成し遂げ人生を自分の好きな様に生きているのは、少し羨ましいと思います。
加曽利隆さんに憧れている人も調べていて、たくさんいました。
人柄も素敵な様な方の様です。
今後も、「生涯旅人」で人生を謳歌して欲しいですね。
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