尾畠春夫(おばたはるお)さんが情熱大陸に出演です!
尾畠春夫さんは、山口県周防大島町家房で行方不明になっていた2才の男児を救出しスパーボランティアとして一躍有名になりましたね。
災害や自身などで被災現場には自ら車で運転し、何日も現地で車中泊をしながらボランティア活動されいます。
しかも、年金暮らしで月に5万5000円で生活されています。
情熱大陸では尾畠春夫さんのその後に密着し尾畠春夫さんについて掘り下げています。
一般人の尾畠春夫さんが情熱大陸に出演されるとは本当にすごいですね。
尾畠春夫さんはwikipediaも出来てもはや一般人ではないのでは?と思ってしまいます(笑)
しかし尾畠春夫さんは現在、ボランティア活動をされていますが今までの壮絶な過去がありました。
現在では考えられないような過去でしたが、尾畠春夫さんは前向きにボランティア活動をされています。
そして尾畠春夫さんの家族(嫁・妻・子供・孫)や名言や座右の銘もすごいです!
そんなスパーボランティアの尾畠春夫さんについて調べてみました。
では、さっそく♪
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コンテンツ
尾畠春夫さんのプロフィール
引用|https://www.sankei.com/
名前:尾畠春夫(おばたはるお)
生年月日:1939年生まれ
出身:大分県
尾畠春夫さんの生年月日は1939年生まれとだけありましたが、一般人のため詳しい誕生日などは個人情報になるため公表されてないそうです。
尾畠春夫さんは鮮魚店をされており65歳の時に鮮魚店をたたみボランティア活動をされています。
趣味は登山で大分県の由布岳には何度も登っていてボランティアで登山道の整備や案内板などを設置しています。
「何度も登らせてもらった山への恩返し。登山者が『おいちゃん、ありがとう』と言ってくれるのがうれしい」と言われていてここからボランティアを始めています。
その後、鮮魚店をたたんでから「学歴も何もない自分がここまでやってこられた。社会に恩返しがしたい」と思い、本格的にボランティア活動を始めています。
そして2004年から新潟県中越地震のボランティアに参加し活動を開始しています。
山口県周防大島町家房で行方不明になっていた2才の男児の捜索ボランティアに参加し捜索開始から30分で男児を発見されています。
過去に大分県佐伯市で行方不明になった女児の捜索に参加していた為、捜索の経験があったそうです。
ボランティア活動をされる人の中では尾畠春夫さんは有名でボランティア仲間から「神」とも呼ばれているそうです。
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尾畠春夫さんが情熱大陸に!
一躍、時の人になった尾畠春夫さんが情熱大陸出演されます。
確かに余生をボランティア活動に情熱を注いでいる尾畠春夫さんですので出演もおかしくないですね。
情熱大陸では被災地での活動に加えて、大分県の自宅も取材されています。
密着取材ですが、取材ディレクターに対しても「360度何を撮っても良いよ」とサービス精神旺盛だったそうです。
番組ではこれまで他の取材では話したことない秘めた思いもあるそうです。
幼い時に母親を亡くしている尾畠春夫さんが「お袋に思いっきり抱きしめてもらいたい」と言われいます。
幼い頃に母親を亡くしている事は尾畠春夫さんの人生に色んな意味で、大きく影響している様でした。
今やっている事を母親が必ず見ているはずなので褒めてもらい抱きしめてもらいたいと言われていました。
尾畠春夫さんの秘めた思いがありました。
尾畠春夫さんの元にはボランティアに対する公演以来やCM出演などの以来がきていますが、全て断っているそうです。
今まで通りボランティアを続ける事が尾畠春夫さんの信念なんですね。
尾畠春夫さんの過去がヤバい!?
引用|https://www.news-postseven.com/
尾畠春夫さんは過去がかなり壮絶です。
1939年生まれの尾畠春夫さんは、戦前に生まれ、戦争を経験し、戦後の荒廃や復興、そしてバブルも経験したとそうです。
過去も壮絶だったそうで一時は父親を恨みの対象だったとか。
尾畠春夫さんの幼少期
大分県国東半島の貧しい家庭に7人兄弟の4番目に生まれた尾畠春夫さん。
父親は下駄職人でしたが商売は順調ではなく貧しい生活だったそうです。
そして尾畠春夫さんが5年生の時に母親が他界しています。
父親は7人の子供を抱えてしましましたが仕事の下駄が売れすに生活が厳しかったそうです。
そして尾畠春夫さんが「大飯喰らいだから」という理由で兄弟で一人だけ近所の農家に小学5年生で奉公に出されています。
しかし「お前は大飯食らいだから」という理由がでしたが納得はできなかったそうです。
奉公先では毎日草刈りや仕事が忙しく学校にもまともに行けなく中学へは4ヶ月しか通えなかったそうです。
奉公に出されたのは家が貧しく家族を助ける為でしたが、なぜ兄弟の中で自分だけなのかと最初はものすごく悔しかったそうです。
しかし尾畠春夫さんはこの時に、「世の中なるようにしかならない。やるだけやってやろう」と心を入れ替え、奉公先の主人や家族を親だと思い、何でも言うことを聞くようにしたそうです。
父親を恨みの対象でしたが全ては生きて行く為で、いつしか父親に感謝するようになったそうです。
奉公の経験がいまの宝になっていますからね。後ろ向きで得をすることなんてありません。だから自分はプラス思考という言葉が大好きなんです。
幼少期に貧しさを経験し、兄弟の中で自分ひとりだけ奉公に出されその後、中学を卒業されま鮮魚店で働き始めます。
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帰る場所がなかった尾畠春夫さん
引用|https://blogs.yahoo.co.jp/kakupurion69/
中学を卒業して、働きたいとお姉さんに相談すると「あんたは元気がいいから魚屋になりなさい」と言われたそうです。
母親が亡くなって、お姉さんのことは信頼していて親の次に重い言葉だったそうです。
そして別府に向かう際に父親から10円札を3枚を渡されますが別府に向かう片道料金だと知り、自分には、もう帰る場所がないと思ったそうです。
今まで芋とかぼちゃばかり食べていたので鮮魚店であらの煮つけを食べた時に、こんなうまいものはないと衝撃を受けたそうです。
その後、別府で3年、下関で3年、神戸で4年修行をして魚やコミュニケーションを学んでいます。
10年の修行後に独立するつもりでしたが、給料が安く貯金が0だった為、開業資金を得る為に上京して鳶・土木の会社に就職してます。
この時の、鳶・土木の経験が現在のボランティア活動に役立っていると言われています。
会社からは残って頭になれと熱心に誘われますが「自分は決めたことは必ず実行するのが信条」と昔から今まで思っているそうです。
その後、1963年に念願だった鮮魚店「魚春」を開業されています。
ちなみに「魚春」の名前は鰆(さわら)で尾畠春夫さんの一番好きな魚だそうです。
65歳からボランティアを始めたと言われていますが、昔から近所の為になるようなスズメバチの巣の駆除や近所の草刈りなどのボランティアはされていたそうです。
65歳の時の誕生日に店を畳んでいますが、15歳から働き出した時から「俺は50年働く。そして、65歳になったらやりたいことをしよう」と決めていたそうです。
店を畳む時は奥さん以外知らせてなく繁盛店だったにも関わらず突然の閉店で、常連客などは困ったそうです。
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現在の家族や名言もすごかった!
尾畠春夫さんは結婚されていて家族構成は、一男一女の子供さんと5人のお孫さんもいます。
奥さんとの出会い15歳の時に一目惚れだったそうです。
鮮魚店の向かいの貝専門店の娘さんだったそうです。
当時から結婚したいと思っていたみたいで、初恋を実らせて鮮魚店を出されてから結婚されています。
奥さんは料理上手で、大分で水銀が社会問題になった時に閉店の危機に陥った時にポテトサラダやコロッケ、キンピラなど総菜を鮮魚店で販売しピンチを乗り切ったそうです。
息子さんは公務員で市役所に勤めていて、息子さんから「魚屋を継いだほうがいいかな」と聞かれたときに「お前には継がせないよ」と怒ったそうです。
自分の人生は自分であゆむべしと、子供に対してどうしろこうしろは言ったことはないそうです。
尾畠春夫さんはヘビースモーカーでピースを2箱吸を吸われていて、孫から辞めるように突然、家に来て言われたそうです。
「65歳を過ぎると体力が急激に落ちるから絶対にやめろ」と孫から言われたことがとても嬉しかったそうです。
孫の言うことは天の声だと思い、その場で全て燃やしたそうです。
お孫さんは尾畠春夫さんの影響で登山されているそうで、これ以上嬉しい事はないそうです。
お孫さんとの関係性はとてもいいですね。
しかし、尾畠春夫さんの奥さんは5年前に家を出ていまだに帰って来ていないそうです。
決して仲が悪いわけでもなく籍も入っているそうです。
旅に出たとも言われています。
きっとお互いに好きな事をされているんでしょうね。
尾畠春夫さんの名言集
尾畠春夫さんの発する言葉が名言だとネットなどで言われています。
強い信念を持って人生を歩んできています。
少しまとめて見ました。
- 「何も求めないのが 私は 真のボランティアだと思うんですよ」
- 「世の中には重たいものはいっぱいあると思いますけど、人の命より重いものはこの地球にないと思ってるんです」
- 「現地のお世話になってはいけない。自己完結、自己責任。」
- 「かけた情けは水に流せ 受けた恩は石に刻め」
- 「世間から貰った恩を万分の一でも返していく」
- 「夢を持ち続け、迷う事なく実行すること」
- 「日本は資源のない国。だけど知恵が無限にある」
- 「お金はいるだけあったらいいです。余分にいらないですから」
- 「私はおいしいものは食べません。身体に良いものを食べるんです」
- 「いただいた恩をお返しするのは当たり前。それが人の仁義です」
- 「すべては恩返し。魚を買ってくれたひとに恩返し。自然の素晴らしさを教えてくれた山にも恩返し」
- 「尾畠春夫の人生に悔いなし」
尾畠春夫さんの座右の銘は「朝は必ずくるよ」と言う言葉でです。
被災された人たちに「明日も朝がくるから」と励ましの言葉をかけていたそうです。
辛い事があっても必ず明日はくるので前向きに考え生きて行こうと言う考え方ですね。
少しでも見習いたいですね。
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最後に
尾畠春夫さんはボランティア活動で一躍時の人になりましたが、過去には大変ご苦労をされていました。
しかし、前向きにプラス思考で前を向いて歩き、人生そのもので被災した人などを励ましたりもしています。
恩返しがしたいと言う思いからボランティア活動をされていますが、なかなか真似ができる事ではないですね。
最近では、就職活動に優位なる為に軽装で軽い気持ちでボランティアをされたり、被災地に行きインスタ映えを狙ったり、炊き出しに並んだりとボランティアのあり方についても議論されています。
尾畠春夫さんはボランティアの見本となる人でした。
簡単にできないボランティアですが少しでも見習って社会の役にたつ人間になりたいものですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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