北尾光司の妻(嫁)は医者で娘は美人?糖尿病の闘病で両足切断も!?過去の伝説やトラブルは?

今回は元横綱の双羽黒こと北尾光司さんについて調べてみます。

 

北尾光司さんは、現役の横綱のまま廃業し、その後プロレスラーとして転身されていましたが、2019年2月に亡くなっています。

 

現役のまま廃業されていますが、どうゆうこと?と思いましたが、北尾光司さんが才能があり天才ゆえになトラブルがありました。

 

そして北尾光司さんの奥様や娘さんはとても美人でともありました。

 

北尾光司さんは55歳と若く亡くなっていますので、現在の家族や過去の糖尿病での闘病など調べてみました。

 

では、さっそく!

 

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北尾光司プロフィールや経歴は?

 

北尾光司のプロフィール

四股名:双羽黒 光司(ふたはぐろ こうじ)

本名:北尾 光司(きたお こうじ)

生年月日:1963年8月12日(55歳没)

出身:三重県津市

身長:199cm

体重:151cm

所属部屋:立浪部屋

引用:https://ja.wikipedia.

北尾光司さんは、幼少期の頃は柔道をしていました。

 

小学生の頃、地元の小学校に相撲場ができてからは、相撲を始めるようになり毎日のように取り組んでいたそうです。

 

そして、地元の商店街の相撲大会で見事優勝をしました。

 

すると、相撲がますます楽しくなったらしくさらに稽古に励みました。

 

中学時代は、当時の中学生では北尾光司さんに敵う人はいなかったと言われています。

 

そのため、高校へ行って稽古をつけていたみたいです。

 

その後、両親は高校に進学して欲しいと願っていたみたいですが、北尾光司さんは、相撲部屋に入門したいという強い意志を持っていました。

 

その意思を貫いて、中学卒業とともに、立浪部屋へと入門しました。

 

一人っ子で、甘やかされて育ったため当初は、ワガママを言ってトラブルを起こすこともありました。

 

ですが、恵まれた体つきと素質を持っていたので、15歳で初土俵を成し遂げました。

 

その後、数多くの金星を上げて、番付を駆け上がっていったのです。

 

そして、1986年(当時22歳)のときに、新大関へと昇格しました。

 

凄いですね!

 

幕内の優勝経験が無いにも関わらず、大関となった力士は北尾光司さんが初だったそうです。

 

そして、22歳11カ月での横綱昇進は、昭和以降では4位のスピード記録になります。

 

こうして誕生した第60代横綱となった、双羽黒光司さんですが、幕内の優勝経験が無いことに対して、色んな方面から批判が出たそうです。

 

批判がありつつも、第60代横綱となった双羽黒光司さんは、その後に様々な問題を起こしてしまいました。

 

そして、1987年12月に、所属する立浪部屋とのトラブルが原因で現役横綱が廃業となり世間を騒がせたのです。

 

その2年後に、新日本プロレスからのデビューが決定しました。

 

初戦こそ勝利で飾り、順調な滑り出しを見せたのですが、プロレスラーとしては成功はしなかったみたいです。

 

おそらくですが、関取時代も含めて、言動に問題があったのでしょう。

 

下積みの努力を惜しまなければ、本格的なレスラーになれると言われていた逸材だったものの、不快な言動やパフォーマンスが原因で契約を解除されました。

 

その時は、民族差別的な発言もあったそうで・・・。

 

そうして、2013年から闘病していたそうですが、最期はひっそりと息を引き取りました。

 

北尾光司の過去の伝説やトラブルは?

引用:https://news.livedoor.com/

 

北尾光司さんは、中学を卒業後に立浪部屋に入門されていますが、中学時代には身長も195cmもあり、身体能力もずば抜けていて、相撲の稽古をしたくても相手がいないくらいだったそうです。

 

入門当時は『末は大関、横綱、間違いなし』と周囲からも注目されていましたが、稽古で兄弟子たちから厳しい稽古をつけられると、すぐに「痛い、痛い」と根をあげてしまう欠点がありました。

 

『故郷に帰らせていただきます』と言われ部屋を飛び出したこともあり、師匠も育てるのに苦労されていたとありました。

 

しかし、相撲の出世は順調で、大関昇進の同じ年には、優勝経験がないまま横綱昇進をされています。

 

ただ、その後は優勝などの成績を残さないまま部屋を脱走しそのまま破門同然の廃業をされていました。

 

その原因は、ちゃんこの味をめぐってのトラブルでした!

 

ちゃんこの味付けをめぐって大喧嘩になり部屋を飛び出しそのまま廃業されていました。

 

部屋を脱走する際には、止めに入った女将さんを振り払ったの暴力を振るったとして当時大きく問題になりました。

 

そして、廃業後の記者会見では相撲界に未練はないといい、実業家やタレントになりたいとも言われ、取材ならギャラを払って欲しいと話、マスコミから大バッシングもされていました。

 

廃業後は『スポーツ冒険家』という肩書きでタレント活動をされ、新日本プロレスデビューされますが、わずか5ヶ月でクビになっています。

 

その後も新団体『SWS』に入団されていますが、反則負けをした試合で「この八百長野郎!八百長ばっかりやりやがって!」とマイクで叫びさらには客席に向かって「こんなもの(八百長試合)見ておもしろいのか!?」とわめき散らした大スキャンダルになりプロレス界からも追放されてしまっています。

 

その後もプロレス界に復帰されていますが、98年に引退されていました。

 

身体能力に恵まれていましたが、練習嫌いやわがままな性格から、トラブルが多かったのでしょうね。。。

 

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北尾光司の妻(嫁)は医者で娘は美人?

北尾光司さんの奥様や娘さんはとても美人だという情報がありました。

 

そして、結婚された奥様は北尾淑惠(よしえ)さんといい、医者ともありましたが奥様や娘さんは一般人のため情報少ないですね。

 

しかし、TBS「爆報!THEフライデー」でテレビ初出演をされ、6年間の闘病生活などを明らかにされていました。

 

北尾光司さんは、美人な娘に恵まれたと言われていたそうで、もしかしたら娘さんも番組に登場されるかもですね。

 

番組放送後の追記したいともいます。

 

しかし、糖尿病の闘病生活は壮絶だったようです.

 

 

糖尿病の闘病で両足切断も!?

 

北尾光司さんは糖尿病を患っていました。

 

そして、病状がだんだん悪化されて具合が悪くなり、寝たきりに近い生活をされていたそうです。

 

トイレなども一人で行くことができず亡くなる6年前には両足首に褥瘡(じょくそう)ができ歩行困難になり、医師からは両足切断を進めされたほど悪化されていたとありました。

 

そして、腎機能も低下し人工透析を受け、目もあまり見えなくなっていたそうです。

 

娘さんがお見舞い行かれても誰なのかどこなのかもわからなくなっていき、娘さんを認識することもできなくなっていたと娘さんが言われていました。

 

そいて、2019年2月10日に55歳という若さで亡くなられています。

 

娘さんのことがわからなくなってしまうなんて、最後は本当に大変だったでしょうね。。。

 

葬儀は奥様と娘さん家族だけで執り行ったとありました。

 

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