今回は、相田みつをさんの家族について調べてみたいと思います!
相田みつをさんといえば、詩人・書家で『にんげんだもの』などの詩はとても有名ですね。
一度は、どこかで見たことや、読んだことがあると思います。
現在は、亡くなられていますが、ご家族である息子さんの相田一人さんが、『世界一受けたい授業』に出演され相田みつをさんの詩の魅力について語られています。
『世界一受けたい授業』で相田みつをさんの魅力について語られていますので、父親の残した作品など後世に伝えているのでしょうね。
相田みつをさんは、有名ですが子供や家族は現在はなにをされているのでしょうか?
そして、相田みつをさんはトイレ(便所)の神様で名誉毀損で訴えたこともあるそうで、なかなか興味深いです。
相田みつをさんは、日記のようなカレンダーを発行されていて卓上になっていて、よく飲食店のトイレなどで見かけることもあり、そう呼ばれているのでしょうか?
色々気になることがありましたので、今回は相田みつをさんのご家族や、トイレ(便所)の神様で名誉毀損についてあれこれ調べてみました。
では、さっそく♪
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相田みつをの子供、相田一人(息子)の現在は?
相田みつをさんの長男は相田一人(あいだかずひと)さんという方です。
相田一人さんはのお名前は、相田みつをさんが亡くなった後に見つかった日記で『気骨ある人に成長するように、何事も一人でやっていけるように、一日も早く一人立ちできるように、という願いをこめて『一人』と命名した。また、転じて後、人生の孤独、寂寥、悲哀等を一人で堪えてゆかねばならぬ時の事を考えて、あえて『一人』と名付けた次第なり』と名付けについて書かれていたそうです。
息子さんのことを考えて名付け、素敵な意味をもつお名前ですね!
息子さんの相田一人さんは、出版社に就職されていますが、その後『相田みつを美術館』の館長されています。
相田みつをさんは1991年12月の67歳で亡くなられています。
道で転んでしまい、骨折されその後、脳出血死んだされこれが原因で亡くなられていました。
相田一人さんは、相田みつをさんが生前に『一文字を書いた大作だけを集めた展覧会を開きたい』と言い残したことを胸に活動されています。
そして、講演活動などもされていて、息子の視点からの相田みつをさんの生涯や作品の背景について「にんげんだもの」「一生勉強 一生青春」「いのちのバトン」などをテーマ話されていたり、執筆活動などもされています。
相田みつをさんは、長く作品が認められない時期があり、生活は極秘生活だったそうで、家族4人で8畳一間で暮らされていて、相田みつをさんだけ30畳のアトリエを独占されていたそうです。
しかし、現在は父親の言い残した言葉を胸に講演活動や執筆活動をし、相田みつをさんについて語られています。
相田みつをの娘や妻(嫁)の現在は?
相田みつをさんの長男の一人さんは、メディアや講演活動をされ表立った活動をされていますが、娘さんについての情報は無くわかりませんでした。
相田みつをさんには、子供が二人いて一男一女とありましたので、いらっしゃるのは事実ですが、長男の一人さんのように、表立った活動はされていないのでしょうね。
一般の方になりますし、嫁がれているのかもしれませんね。
相田みつをさんの妻は、平賀千江さんです。
以前『爆報フライデー』に出演されていて現在は、90歳をこえる年齢です。
平賀千江さんは、大きな商家の末娘でしたけど、歌会で当時は収入がなかった相田みつをさんと結婚されています。
周囲は、大変反対されたそうですがご結婚され、一男一女を授かります。
しかし、当時は収入も少なく、8畳一間で暮らされていて、さぞ大変だったと思いますが、さらに相田みつをさんは嫌いな相手とはすぐに喧嘩になったり、女性にモテたりとパトロンまでいたそうです。。。
相田みつをさんは、作品に対するこだわりが強く、家族は8畳一間で生活されていましたが、30畳のアトリエで最高級の筆と硯を使用。
当時、大学初任給が15000円の時代に一旦3万円の最高級の箸を使用していました。
作品に関係するものは全てツケ払い、生活は大変苦しく千江さんは、実家に頭を下げお金を借りて生活をされていたそうです。
ちえさんは、生活を少しでも楽にするために仕事をしようと考えましたが、相田みつをささんは、外に働きに出るのを禁止していたそうです。
理由は、少しでも収入があると、甘えで筆が甘くなると思い千江さんが外に働きに行くのを禁止されていたのです。
作品に対する異常なこだわりで、家庭は火の車。
現代では、即離婚のような気がします。。。
千江さんは、別れたいと思ったことは、何回もあったそうですが、夫婦でなんでも話し合い、相田みつをさんの書や詩についても千江さんと話あっていたのです。
相田みつをさんは昭和の不器用な男性で、苦労ばかりかけた千江さんに感謝や労いも言葉すらなく突然亡くなられています。
しかし、千江さん相田みつをさんの作品で1番好きな言葉があり、その言葉は『ただいるだけで』。
千江さんはこの詩について『うぬぼれかもしれないけど、私の事を詠ってくれていると思ったんですよね』といわれています。
ただいるだけで
あなたがそこに
ただいるだけで
その場の空気が
あかるくなる
あなたがそこに
ただいるだけで
みんなのこころが
やすらぐ
そんな
あなたにわたしも
なりたい
相田みつをさんの沢山の言葉の中には、自分を常に愛して信じてくれる人がいるからこそ、相田みつをさんの言葉は辛い時や苦しい時に、勇気を与えてくれるのでしょう。
相田みつをさんは、なくなる前に千江さんに『この次生まれ変わった時には、もうちょっといい生活をさせてやるから、来世も結婚しような』と。
苦労をかけた千江さんい対しての、相田みつをさんの感謝の言葉だったのでしょうね。
このことについてこう言われています。
来世まで!?ていうことで。ちょっと待ってねって一瞬答えるの困ったんですよ。またこれの繰り返しじゃ大変だからって。でも、結婚は悔いがないと思いますね。楽しい人でした。ほんとにね。
相田みつをさんの作品には夫婦の愛が詰まっていますね。
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相田みつをトイレの(便所)神様で名誉毀損!?
相田みつをさんの作品の卓上カレンダーを販売されていて、自宅や飲食店のトイレ、病室などで見かけることも多いので、トイレの神様や病室がよく似合うといわれているようですが、過去に『便所の神様』と批判する記事が『月刊誌諸君!』で書かれたことがあったそうです。
そこでの内容が、かなり批判的で相田みつをさんの書道家の実績や兵役について有無などの来歴について、事実と違った内容で掲載されていたそうです。
この記事に対して、息子である相田一人さんが名誉毀損で訴えたことっがありました。
芸術作品などは、個人の主観がありますので、好き嫌いはあって良いものだと思いますが、個人を批判し事実とは違うことで批判するのは、よくないですね。
トイレは一人になれる場所で自分と向き合える場所ともあり、そこに相田みつをさんの作品があることが多いですが、素敵なことだと思います。
誰もが使い、目にする場所に多く置かれているからこそ、相田みつをさんが亡くなった後も作品が生き続けているのだと思います。
最後に
今回は、相田みつをさんの家族について調べてみました。
息子さんは現代美術館の館長されていて相田みつをさんの意思を引き継ぎ、テレビやメディア講演会などの活動されていました。
相田みつをさんお妻である千江さんも、メディアなどに出演され相田みつをさんとの苦労話や結婚生活など妻しかわからないことなどを話されていました。
かなり苦労をされていましたが、別れることもなかったので、夫婦の絆や愛があったのでしょね( ^ω^ )
相田みつをさんが、トイレや便所の神様で名誉毀損については、過去の記事で批判的で事実を捻じ曲げた記事を書かれたことから、遺族が訴えたことでした。
しかし、誰もが必ず使う場所に、作品があることが相田みつをさんが亡くなった後でも、作品が忘れられないことだと思いました。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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