ナカイの窓に岡啓輔(建築士)の蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)が登場。再開発でどうなる!?

「ナカイの窓」に岡啓輔(おか けいすけ)さんが出演されます。

岡啓輔さんは一級建築士ですが鉄筋コンクリートの3階建てのビルをひとりで建て続けているそうです。

しかもそのビルは着工から10年以上立っていますがいまだに完成しておらず岡啓輔さんはスペインのサクラダファミリアの建築家のガウディに例えられ、三田のガウディとも言われているそうです。

過去には「タモリ倶楽部」や「月曜から夜ふかし」などのメディアの出演もされています。

最近では自身の著書『バベる 自力でビルを建てる男』を出版して話題になっています。

そんな三田のガウディと呼ばれている岡啓輔さんはいったいどんな人なのでしょうか?

経歴やビル作りのきっかけなど調べて見ました。

スポンサーリンク

岡啓輔さんはどん人?

引用|http://kushiterra.com/office/2018/02/222.html

1965年、福岡県の筑後の生まれで20代前半に東京に上京されています。

建築に興味を持ったのは中学生の時で自宅が一戸建てを新築する事になり建築現場に出入りするうちに大工の仕事に興味を持ったそうです。

しかし当時、岡さんは体が弱く柱ひとつ満足に持ち上げる事ができなかったそうです。

大工仕事が満足に出来なく落ち込んでいたところ、母親が「建築家」という道を教えてくれたそうです。

その後「建築家」を目指し福岡県の大牟田にある国立有明工業高等専門学校の建築学科に進学し卒業後は住宅メーカーに就職されました。

しかし岡さんは長く会社に務める気はなかったそうです。

岡さんは「建築家」として独立したいと当初から思っていたそうです。

そして入社2年目で会社を辞め、なんと自転車で全国の建築を見てまわる旅に出たそうです。

この頃から他の建築家とは少し違う感覚があったのですね。

普通は会社に務め働き続ける方や独立したとしても自転車で旅に出たりもしないでしょう。

岡さんは自転車の旅の途中で建築家・倉田康男さんと出会い「高山建築学校」に通いはじめています。

「高山建築学校」は夏の間だけ開校されるサマーククールで飛騨高山で開催されています。

自然やその土地との葛藤を学び自分の作品を作りあげていく、経験と実感を養う学校です。

建築を作るとはどういう事なのか、建築の可能性についても学べる学校でもあります。

岡さんはこの学校に通っている時に建築家の倉田康男さんに建築禁止令を言い渡されます。

それは岡さんの近くに行くと「ちゃくちゃく」音がすると言われたそうです。

当時の岡さんは計画を建てた事をひとつづ『着々』と進めるタイプの人間でそんな生き方をしていては、それ以上ものになれないと思ったそうです。

信頼している倉田さんから言われて従ってみようと思ったそうです。

そこで岡さんが挑んだのが全く建築とは違う舞踏の世界だったそうです。

幼少期から病弱で体育や音楽が苦手で人前で踊るなんてと思っていたそうですが、そこでも踊りのイロハを学び「思考を追い抜く」即興表現を学んだそうです。

即興表現とは『現在に集中し, 心に浮かぶ想いもしくは構想にそのまま従って, それを外に現実化していくこと』

この表現を学び「ちゃくちゃく」の殻を破る事ができたそうです。

建築が踊る表現に繋がるとはかなり奥が深く芸術とも繋がっていることも理解できますね。

その後も自転車での旅を続け、岡さんは30歳までの7〜8年の間に日本を1周半されています。

そして建築現場で働きながら建築技術のイロハを身につけ30歳の時に一級建築士の資格を取得されます。

一級建築士とは設計・工事監理等の業務を行い高度な技術がいる建築物を含む全ての施設の設計などを手がける事ができる資格です。

ビル「蟻鱒鳶ル」(アリマストンビル)を作るきっかけ

引用|https://www.flickr.com/photos/webdice/2299239678

岡さんは30代前半に化学物質過敏症を患い、職人仕事が辞めざる得なくなったそうです。

現場で使用する接着剤や塗料、防腐剤などが影響しました。

そして同じ頃に建築家として納得ができる「絵」が描けなくなり建築から離れようとまで思ったそうです。

落ち込む岡さんを導いたのが結婚した奥様だったそうです。

奥様が自分たちの住む家を作るように岡さんに言ったそうです。

その言葉から岡さんの人生の挑戦が始まりました。

その後土地を探し三田の聖坂にある40平方メートルほどの土地を購入しました。

しかし狭い土地でも都心の一等地で当初は6500万円という条件でしたが粘り強く交渉し5000万近い値引きをし1550万円で購入されたそうです。

どんな値引き術なのかビルも気になりますが値引きの交渉も気になりますね。

土地を買った当初から「自分の家は自分で作るもの」思っていて2005年から着工をはじめています。

時々友人や学生が手伝ってくれますが基本的には岡さん一人で作業をされているそうです。

それから10年以上作り続けていて未だ完成にはいたってないそうです。

ビルの名前は「蟻鱒鳶ル」(アリマストンビル)と名付けておりこのビルについて岡さんはこう説明しています。

「蟻鱒鳶ル」読みは「アリマストンビル」、友人マイアミが名付け親です。2005年の着工以来、沢山の友人達に手伝ってもらいながら、植物のように、ゆっくりゆっくり出来ている小さなビルです。 蟻鱒鳶ルのコンクリートは、上質の砂とジャリを使い、水セメント比は37%、少しずつの量を箕で丁寧に型枠に入れ、一週間以上水をかけながら養生します。出来たコンクリートはギュッと詰まった感じです。ある研究者には「200年以上保つ」と言ってもらえました。 200年!!想像も難しいとても遠い未来です。 「蟻鱒鳶ルを200年残す価値のある建築にする」事は、凡才の僕にとって身震いし、足のすくむ仕事です。 でも、もう信じているんです。
引用|http://arimasutonbi.blogspot.com/

完成予定はあと3年と言い続けていますが未定で完成したら賃貸マンション生活を辞めて奥様と二人で住みたいそうですが一帯周辺の大規模な再開発の動きがあり不安だそうです。

スポンサーリンク

再開発の懸念

岡さんの建設するビルの土地が田町品川地区の再開発区域に掛かっているそうです。

建設をはじめて6年立って話しが浮上したそうです。

岡さんは知り合いの弁護士に相談したところ再開発で必ず退かなければいけない法律もなく小さな建物だけが残った事例もあると言われたそうですがバブルの頃の地上げ屋などが来るのかと怯えていたそうです。

そんな事も念頭にかんが上で曳家という方法を受け入れたそうです。

曳家とは建築物をそのまま状態で別の場所に移動させる建築方法です。

岡さんは随分考えた上で不動産業者やゼネコン、役所などとずっと交渉を続け立ち退きではなく曳家で解決する事になったと言われています。

しかしこの場所で作ってきたからこその建築になっておる細い窓からは神社で拝んでいる人や、東京タワーが見えたりなど岡さんの中で意味のある作りになっているそうです。

なので少しでも動かすと建物自体の造形的な意味が崩れて来るそうです。

岡さんは毎日泣いていたそうですが、友達の弁護士から「これだったら周囲の住人も不動産屋も『残してもいい』と認めるような魅力のある建物を作れ」と言われ、その言葉が岡さんに響き、なぜビルを作っているのか自分でもはっきり答えが見えない中で背中を押してくれる友人がいる事も励みになったそうです。

今回の立ち退きでビルの作品としてのコンセプトも明確になり再開発の話が浮上した事で逆に蟻増鳶ルついて考える時間が生まれ良かったと思いたいそうです。

曳家で今の場所から数メートル動かすようですが動かしたあとも岡さんの蟻増鳶ルに対する思いは変わらないでしょうね。

関連記事はこちら↓
佐藤優希(大工)イケメンですごい!経歴・彼女は?技能五輪金賞で次世代を担う!(ナカイの窓)

まとめ

「ナカイの窓」に出演される岡啓輔さんは幼少の時に建築現場で大工に憧れ建築家になり建築に対する情熱を様々な角度から建築を学んでいました。

時には自転車で日本を周り、時には全く畑違いの踊りをやって見たり様々なことをし現在のビル「蟻増鳶ル」の建設をされています。

一時は体を壊し建築の道を諦めようとしましたが奥様の言葉で建築を再び歩きはじめています。

10年以上建設し続ける「蟻増鳶ル」ですが再開発の話が浮上し立ち退きを迫られましたが曳家という形をとり移動が決まったようです。

しかし元にあった場所から岡さんがインスピレーションされ建設したところなどもあり最初は悩んだり落ち込んだりもしましたが、周囲の人たちの励ましなどに背中を押され一度立ち止まり「蟻増鳶ル」の存在などを改めて考えさせられこれから建設に向かって行ってます。

今回の再開発でさらに完成が遅れそうですが岡さんであれば必ず完成させる事でしょうね。

今後の「蟻増鳶ル」の完成が楽しみですね。

最後までお読みいただきありがとうございました。

スポンサーリンク