今回は、吉田真希子さんの若い頃についてや、家族、旦那や子供はいるのか、独身なのかなど調べてみたいと思います。
吉田真希子さんと言えば、ギンガマンに出演されていた若い頃にかわいいと話題でした。
年齢を重ねた現在も美人でとても綺麗といわれており、インスタグラムでは、現在の料理研究家としての活動を載せられています。
その、料理研究家になった理由や、現在についてもせまりたいと思います。
また、実の妹である、吉田真由子さんも芸能活動をされていて、有名です。
料理研究家の料理気になりますよね!
では、さっそく♪
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吉田真希子のプロフィールは
氏名:吉田 真希子 (よしだ まきこ)
生年月日:1969年11月2日
出身地:東京都
身長:163㎝
スリーサイズ:80・58・84
所属:サニーサイドアップ
職業:女優・タレント・料理研究家
出身校:渋谷区立松濤中学校・日本大学第ニ高等学校・日本大学
吉田真希子さんは、渋谷区立松濤中学校を卒業していて、俳優の東幹久さんとクラスメイトでした。
1991年にカネボウのシャンプー「サラ」のCMでデビューしました。
デビュー当時は、実の妹の吉田真由子(当時の芸名は吉田真由)と同じホリエージェンシー所属でしたが、1990年代後半に移籍されています。
1993年に吉田真由子さんとフジテレビジョンで放送されたサッカーをテーマにした深夜番組「デタカルチョ」のパーソナリティーを務め、15年後の2008年には、東海テレビ制作フジテレビ系の昼ドラ「花衣夢衣」で再び姉妹で共演されました。
双子のヒロイン役でドロドロ愛憎劇を演じていましたが、演技力が足りず、世間からは批判の声もあったそうです。。。
この時、妹の真由子さんと年の差5歳ですが双子役は同い年のようにそっくりだと言われていました。
出演された主なTV番組はこちら。
・味いちもんめ!(1995年、テレビ朝日) 仲居役
・翼をください(1996年、フジテレビ)
・星獣戦隊ギンガマン(1998年、テレビ朝日) 水澤鈴子役
・CM
・カネボウ サラ (1991年ー1994年頃)
・ライオン バファリン (2003年)
・世田谷自然食品 十六種の野菜(2018年)
写真集も2冊、出版されていて「Seem」は真希子さんのみ、「Dear」は妹の真由子さんとの写真集でどちらもなかなかの売れ行きでした。
そして、食への興味がとてもあり、食べ歩きや料理教室に通ったりされていて、フランス料理学校の「ル・コルドン・ブルー」に正式に入学されています。
デュプロム免許を取得され、その後、ベジフルマイスター協会公式の「ベジフルビューティーアドバイザー」の第1期生となり資格を取得。
その資格は、果物と野菜の栄養効果を生かし美しさを引きだすアドバイスをする資格です。
女性に人気そうな資格ですね( ^ω^ )
そして、2007年から美食デザイナー「MAKI」として料理研究にも取り組まれ、野菜を中心としたレシピを紹介されています。
他にもアスリートフードマイスターやフードコーディネーターの資格も取得され、近年ではソイフードマイスター認定講師としての活動をメインに活躍されています。
インスタに、ご自身の料理をあげられていて、本当に美味しそうです!
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吉田真希子の可愛い若い頃やギンガマンは?
吉田真希子さんは、1998年から1999年にテレビ朝日系列で放送された、「星獣戦隊ギンガマン」の続編であるオリジナルビデオ作品に出演されています。
2000年3月10日に発売されたビデオ作品で、「救急戦隊ゴーゴーファイブ」にのオリジナルビデオ作品でもあり、ギンガマンとのクロスオーバー作品です。
今でもよくある、1年で戦隊ものが交代するときに、前年と新年のレンジャーが一緒に出演するというお決まりのパターンですね。
吉田さんは、戦士ではなく、協力者である「水澤鈴子」という役を演じられています。
小学校の教師の役で、劇中では戦士の一人、ギンガブルーに一目ぼれされるという可愛い役どころを演じています。
若い頃の可愛さもあり、ぴったりな役どころですね。
吉田真希子の家族(旦那・子供)は?
吉田真希子さんの旦那さんについて、調べてみたところ結婚という情報は見つかりませんでした。
はっきりと配偶者の情報もなく、妹である吉田真由子さんの結婚や旦那さんについては、沢山の情報があったのでそれからすると独身である可能性が高いようですね。
そのため、子供の情報も見当たりませんでした。
料理に熱心であり、今は、料理にその情熱をそそいでいるのでしょうね。
今後に、結婚して誰かに作ってあげるか期待ですね( ^ω^ )
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吉田真希子の今現在、料理研究家になった理由は?
吉田真希子さんは、料理研究家として有名ですが、始めるきっかけがありました。
それは、20代の頃にテレビ出演の仕事をしていた時、体調を崩してしまったことです。
当時のテレビは、ブラウン管でしたので自分の顔が横に広がって真ん丸に見えていてそれがとてもショックだったそうです。
そのことがきっかけで、知識もないままダイエットをしてとにかく食べなければいいと制限すると、さらに体調を悪化させてしまいました。
その時に、食べることの大切さに気付くきっかけとなり現在にいたります。
ツムラの漢方にもお世話になり、病院でも自分にあう漢方を処方してもらったりして体調を改善できたそうです。
人間、不調をおこして初めて健康のありがたみに気づくもんなんですね。
とてもお綺麗で、現在までの活躍なんて、凄いです。
また、子供の頃から母の料理はなんでも手作りだったことから、料理は身近なものに感じていたそうです。
祖母には、「女性は、最期に目をつむる瞬間まで、女性としてきれいでかわいくいきなきゃいけない」ということをよく言われていたのを思い出したそうです。
吉田さんは、心も体も健康じゃないと、料理をおいしいと感じられないと言っています。
20代の頃は、せっかくの美味しいものも美味しく感じなかったそうです。
今では、周りにも自分にも日々感謝することを大切に活動されています。
最後に
今回は、料理研究家として活躍されている吉田真希子さんについて調べてみました。
過去に体調を崩したことがきっかけで、料理研究家までになるなんて凄いですね。
食の大切さに気づき、それを伝えていく仕事は、とても素敵だなと思いました。
レストランやカフェもプロデュースされたり、色んな資格をお持ちで、今後の活躍も楽しみですね。
食は、毎日のことですし、ご自身のコンセプトである「食べてキレイになる」を今後も広めていって欲しいです。
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