丹波慎也のプロフィールや横浜高校での実力は?兄が夢を叶えて泣ける!【消えた天才】

今回は丹波慎也さんについて調べてみました。

丹波慎也さんは、現在は亡くなっていて、松坂大輔を超える天才として「消えた天才」で紹介されます。

丹波慎也さんは17歳という若さで亡くなっていました。

その死因は突然死で丹波慎也さんは前日まで普通に暮らされていたそうです。

そして、丹波慎也さん野球の実力は天才的で、松坂大輔を超える天才とも言われています。

丹波慎也さんは横浜高校で松坂大輔さんや上地雄輔さんと野球をされていますが、実力は松坂大輔さんを超えるほどだったそうです。

そんなすごい実力のあった丹波慎也さんについて調べてみました。

では、さっそく!

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丹波慎也さんのプロフィール

名前:丹波慎也
読み方:たんばしんや
生年月日: 1978年
身長体重: 184cm/82kg
高校 :横浜高校
兄弟: 丹波幹雄(兄・元プロ野球選手)

丹波選手は17歳という若さで、この世を去っています。

そのため、甲子園の舞台に出場することがなかったので、記録や動画や画像がほとんど残っていないそうです。

そのため、上地雄輔さんがブログで綴っていたのが一番詳しい資料とも言われています。

上地雄輔さんは、中学3年の頃に家族で甲子園予選の神奈川県大会をテレビで観戦していて、丹波さんの影響で決めていた進路を変えるほどだったそうです。

上地さんは、当時キャッチャーだったので、丹波さんの投げるボールを受けてみたい、横浜高校に進路をかえ進学されています。

上地さんは、丹波さんに憧れて高校に進学され丹波さんに、とても可愛がられていたそうです。

丹波さんは背が高く、モデルのようなスタイルで成績もよくかなりのイケメンとありました!

そして、性格も真面目でマスコミや女の子が騒いでいても、黙々と練習に励んでいたそうです。

高校生ですでにマスコミなどから注目されているとは、すごい選手だったのでしょうね。

そして、高校生なのに丹波選手がすごいと関心してしまった話しがありました。

それは、上地さんと丹波選手が学校帰りマスコミや女の子が騒いでいたときの話です。

上地さんは「うるさいなぁー」と思いながら丹波さんのボディーガードみたいに守り、イライラされていた時の丹波さんの考え方です。

『人の意見を気にしてたらキリがないぞ?俺達は人に感動させたり何かを感じさせたり元気にさせられる特別な立場にいるんだから、人にどう思われるかなんてどーでもいいんだよ。ただ感謝して自分のできる事をするしかないんだよ(^-^)』

高校2年生の男の子が、こんな考えを持っているってすごいと関心してしましました。

人に感謝されたり何かを感じさせたり元気にさせられる特別な立場と認識していますので、将来はプロ野球を目標にされていたのでしょうね!

その頃から、プロ野球選手みたいですね。

しかし、17歳の若さで亡くなってしまっています。

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丹波慎也さんの死因は?

丹波選手が亡くなったのは1995年8月17日です。

亡くなられたのは突然だったそうです。

死因は心臓肥大による急性心筋梗塞とありました。

丹波選手は、なくなる前日まで普通に元気で過ごされており、眠ったまま亡くなったそうです。

心筋梗塞は冠動脈が詰まり、血液の流れが途絶える病気です。

若い人でも稀にあるそうですが、あまりにも若すぎると思います。

突然のエースの死にチームメイトや監督など精神的ショックは大きく、翌年のセンバツがかかる大会の出場辞退も検討されたそうです。

しかし、丹波さんのご両親が、

「何としても慎也のためにためにやってくれ」

「慎也からそういう声が聞こえた。すぐやってください」

机を叩きながら言われお願いされたそうです。

丹波さんのお母さんは、丹波選手のユニホームで作ったお守りを渡したそうです。

そして、チームは見事に勝ち進み選抜に出場されています。

家族が一番、大変で辛かったでしょうね…

丹波慎也の横浜高校での実力は?

横浜高校では名物監督の渡辺元智さんという監督がいました。

渡辺元智さん50年も横浜高校で指揮をとってきた監督なんだとか!

しかも渡辺監督がプロ野球に送り込んだ教え子は40人以上。

松坂大輔さんもその一人ですね。

その渡辺監督が自分の教え子の中で、1番の選手だったと言われています。

「間違いなくナンバーワンの逸材だった」

丹波選手は17歳の若さで亡くなっていますので大会などの成績は残っていません。

しかし、新チームで練習試合では、4試合でノーヒットノーラン2回、打者としても3本塁打を記録しているそうです。

もし、生きていたら、松坂大輔さんのようにプロ野球やメジャーで活躍されていたと思いますね。

丹波選手には4歳上にお兄さんがいて、お兄さんが丹波選手の夢を叶えていました。

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丹波慎也の兄が夢を叶えて泣ける!

丹波選手のお兄さんは丹波幹雄(たんば みきお)さんといい、野球をされていました。

丹波選手と同じ横浜高校に進学され、野球をされていました。

お兄さんの幹雄さんも実力があったようで、1年生の時から投手としてベンチ入りされていました。

しかし、肘を痛めてしまい、2年の春に野球部を退部されています。

幹雄さんは、丹波選手がなくなる前日にキャッチボールの相手をお願いされて、その時に丹波選手から「まだやれるじゃん」と言われたそうです。

その翌日にまさか弟が亡くなってしまうなんて思いもよらないでしょうね…

しかし、丹波選手の「まだやれるじゃん」との言葉が幹雄さんの心に響、もう一度野球を始めるきっかけにつながりました。

幹雄さんは、痛めた肘を手術し、クラブチームで野球を再開されます。

そして、1998年のドラフト会議でヤクルトスワローズに8位指名され、投手として入団されます。

幹雄さんは、最下位の指名で契約金なしの契約でしたが、弟の夢であったプロ野球選手になられていますね!

本当に感動します( ;  ; )

弟の夢を実現させた兄として、「リアルタッチ」とも言われていました!

幹雄さんは2002年に戦力外通告を受けています引退されています。

ちなみに、現在はバスの運転手の仕事をされているそうです。

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最後に

今回は丹波慎也さんについて調べてみました。

現在は亡くなっていますが、亡くなった今でも語り継がれる方でした。

17歳の若さで亡くなっていて、表舞台での成績などほとんど残っていませんでしたが、丹波慎也さんの凄さを語る人は多かったです。

上地雄輔さんと松坂大輔さんの話は有名ですが、丹波慎也さんについても偉大な選手だったとも言われていました。

お兄さんも再び野球を始めて、見事プロ野球選手になられていたのは、本当に感動してしまいました。

現在は、引退されていますが弟の夢を叶えたのは、すごいと思います!

こんなすごい選手がいたなんて正直、驚かされまし感動しました。

最後までお読みいただきありがとうございました。

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