渋沢栄一はすごい人で1万円札肖像画に決まったけど何した人!?誰がどうやって決める?

平成の時代が終わり、新しい元号『令和』と新しい時代がきますが、紙幣の肖像画も新たに変わると発表がありました。

 

前回は、千円札と五千円札の肖像画は変わりましたが、一万円札は福沢諭吉と変わらずでしたが、今回は一万円札も新しく変わるそうです。

 

一万円札は福沢諭吉から渋沢栄一に変わる様ですが、、、、だれ?ってなった人も多いかと思います^^;

 

一万円札の肖像画になる様な人ですから、すごい人なのはわかりますが、『何した人』と検索されている人も多いみたいです!

 

渋沢栄一とは一体どんな人なのか、ざっくりあれこれ調べてみました!

 

では、さっそく♪

 

渋沢栄一プロフィールやどんな人

 

名前:渋沢栄一

読み方:ふじさわ えいいち

生年月日:1840年2月13日

年齢:満91歳没(1931年11月11日)

出身:武蔵国榛沢郡血洗島村(現埼玉県深谷市血洗島)

 

1840年は日本は江戸時代で元号は『天保』で渋沢栄一が生まれた年号は天保11年!

 

福沢諭吉も天保生まれですが、福沢諭吉は天保5年生まれなので、福沢諭吉が年上ですねw

 

渋沢栄一は武蔵国血洗島の豪農の長男に生まれています。

 

渋沢家は、農家でいたが藍玉の製造販売と養蚕をされていて、渋沢栄一も幼い頃から、販売や仕入れを任されていて、実業家としての基盤になったとありました。

 

19歳で結婚し、江戸に出て剣術修行をしながら勤皇志士と交友を持ち、長州と連携して幕府を倒すという計画を立てたこともあるそうです。

 

その後、江戸遊学の折より交際のあった一橋家家臣の進めで、一橋慶喜(後の徳川 慶喜)に仕えることになります。

 

やがて、一橋慶喜が江戸幕府の第15代将軍になると、渋沢栄一は幕臣となり、パリで行われる万国博覧会に視察にフランスへ渡っています。

 

フランスでは、西洋の近代的な産業や語学を学び、明治維新後に帰国。

 

帰国後は徳川家とともに静岡へ移り、商法会所を作っています。

 

商法会所は、銀行と商社を兼ね備えた様な組織で、日本で初めての株式会社ともいわれています。

 

この商法会所が新政府の目に留まり、渋沢栄一は大隈重信に説得され、大蔵省に入省されています。

 

大蔵省では、官僚として財政制度や貨幣制度の導入などに携わり、新しい日本の国の為に尽くしますが、予算編成を巡って、大久保利通や大隈重信と対立し、渋沢栄一は官僚を辞めています。

 

そして、実業家としての道に進んでいます。

 

 

実業家、渋沢栄一はすごい人で何した人?

渋沢栄一のこれまでもすごいですが、一体何がすごいのかと言うと日本の数々の有名企業の設立に関わっていて、第一国立銀行や東京証券取引所といった企業の設立・経営に関わり、今の日本の企業のがあるのです。

 

その数はなんと500社以上とあり、現在の日本の有名な会社もあります。

 

  • 第一国立銀行(現・みずほ銀行)
  • 大阪紡績(現・東洋紡績)
  • 東京瓦斯株(現・東京ガス)
  • 抄紙会社(現・王子製紙)
  • 東京海上保険会社(現・東京海上日動)
  • 田園都市(現・東京急行電鉄)
  • 秩父セメント(現太平洋セメント)
  • キリンビール
  • サッポロビール

 

などなど、他にもたくさんありました!

 

まさに、今の日本の社会に大きな影響を与えている人物ですね。

 

しかし、たくさんの企業の設立に関わっていますが、財閥を作らなかったそうです。

 

渋沢栄一は『私利を追わず公益図る』と考えて社会の為に貢献しています。

 

この多くのことが、日本経済に影響を与え、渋沢栄一は『日本資本主義の父』と呼ばれています。

 

渋沢栄一は、実業家だけではなく、日本の教育や社会事業にも携わり、現在の一橋大学や、日本女子大学の設立支援や校長も務め、また貧しい人たちや孤児などを保護する、教育院を運営しています。

 

そして、渋沢栄一が生涯で携わった教育・社会事業の数も600にも及ぶといわれています。

 

渋沢栄一は、実業家という肩書きの枠に収まりきれないほどに、日本の世の中の為に動いていました。

 

 

渋沢栄一の新一万円札は誰がどうやって決めた?

https://www.mof.go.jp/

 

渋沢栄一が日本の為に尽く『日本資本主義の父』といわれ、現在の日本に大きく影響を当てた人物だとはわかりましたが、一体誰がどうやって決めているのか気になりますね!

 

国立印刷局のホームページに説明がありました。

 

肖像をはじめとするお札の様式は、通貨行政を担当している財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議し、最終的には日本銀行法によって財務大臣が決めることになっています。
引用:https://www.npb.go.jp/

 

と言うことは、財務省・日本銀行・国立印刷局の三者で考え、その後財務大臣が決める様ですね。

 

最終的には現在の財務大臣である麻生太郎さんが決めたという事になりますね。

 

お札の肖像の選び方には、特に制約はないですが、おおよそな理由で選定されていました。

 

  • 日本国民が世界に誇れる人物で、教科書に載っているなど、一般によく知られていること。
  • 偽造防止の目的から、なるべく精密な人物像の写真や絵画を入手できる人物であること。

 

確かに、渋沢栄一は日本国民が世界に誇れる人物だと思います。

 

結果、話し合いの末に、財務大臣がOKを出せば、お札の肖像が決まる様ですね。

 

お札は、偽造防止の意味もあり、20年に1度くらいのペースで新しくなりますが、過去の一万円札の肖像が変わらず福沢諭吉のままで長く親しまれていたので、なんとなく寂しく思います。

 

 

 

最後に

今回は、新たに新紙幣になるという事で、その肖像画の人物の一人、渋沢栄一について調べてみました。

 

渋沢栄一が関わった企業は今でも多く残り、現在の日本があるのも渋沢栄一のおかげなのかもしれませんね。

 

渋沢栄一が存在しなければ、日本の現在はかなり違った事になったと思うくらいの人物でした。

 

多種多様な企業、学校の設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」といわれているのが調べていて、よくわかりました。

 

 

 

まだまだ渋沢栄一の奥が深いので、今後も調べてみたいと思いましたね。

 

 

しかし、新しい紙幣になるのは、準備などから5年ほどかかるみたいなので、すぐに変わる訳ではないので、気長に楽しみに待ちたいですねw

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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