今回は、ロシアの元フィギュアスケート選手エフゲニー・ヴィクトロヴィチ・プルシェンコ氏について調べてみます♪
プルシェンコ氏はロシアを代表する選手で、「皇帝」という異名でロシアだけではなく、世界的に有名な選手ですね。
日本でも人気のあるプルシェンコ氏ですが、2018年にアイスショーのため来日されましたが、アイスショーでは息子のサーシャくんも出演するとあって話題になっていました。
日本での、親子共演は初めてでしたが、TBS系「炎の体育会TV SP」で息子のサーシャくんが出演されて、ますます話題になっています。
プルシェンコ氏の子供はサーシャくん以外に4人もいる様です。
そして、結婚されている奥さんもかなりやり手で、ロシア国内では高い注目が集まっているそうです。
今回、初めて日本のテレビに出演されている、息子のサーシャくんやプルシェンコ氏の他の息子さんや奥さんについて、あれこれ調べてみました。
では、さっそく♪
スポンサーリンク
プルシェンコの子供(息子)は4人?
プルシェンコ氏の息子は4人いるとありましたが、現在の妻との間いに1人と、過去に結婚した妻マリア・イェルマークとの間に、息子が一人います。
プルシェンコ氏の息子は4人では?と思いましたが4人いる理由を調べてみました。
プルシェンコ氏の最初の結婚は2005年で、実業家の娘マリア・イェルマークと結婚されていますが、結婚3ヶ月で夫婦関係は破綻していて、2008年に正式に離婚されています。
2人の間には息子が生まれ、クリスチアンと名付けていますが、その後マリアの独断でイェゴール・イェルマークという名前に改名されています。
画像を見ると、プルシェンコ氏にそっくりですね!
最初の結婚での息子の親権は、前妻のマリアに渡っていて一緒には暮らしていない様です。
そして、2008年1月に離婚されていますが、2009年には、現在の妻であるヤナ・ルドコフスカヤと再婚し、2013年に息子アレクサンドルが生まれています。
ここで頭がこんがらがって来ました。。。
子供が4人とあり、最初の息子の名前が「クリスチアン」で改名し「イェゴール・イェルマーク」。
再婚し、ヤナ・ルドコフスカヤとの間に生まれた子供が、「アレクサンドル」。
え?サーシャくんはいつ生まれたの?っとなりますが、ロシアで「アレクサンドル」または、「アレクサンドラ」という名前の愛称が「サーシャ」となるそうです。
「クリスチアン」「イェゴール・イェルマーク」「アレクサンドル」「サーシャ」名前が色々あって複雑!
ということは、プルシェンコ氏の子供は2人のはずで4人いると言われていますが、2人では?と思いましたが、再婚したヤナ・ルドコフスカヤもバツイチで、前夫との間にアンドレイとニコライの2人の息子いて、連子再婚となり現在の家族構成では3人の息子がいることになります。
整理すると、プルシェンコ氏の実子は2人で、再婚したヤナ・ルドコフスカヤに2人の子供がいて、今現在の子供は4人となるみたいです。。。
しかも、更に複雑なのが、再婚したヤナ・ルドコフスカヤの息子のアンドレイは、前夫と前妻の子供で、ヤナ・ルドコフスカヤとは、血が繋がっていないのです!
複雑すぎますね^^;
しかし、プルシェンコ氏も血が繋がっていなくても、自分の息子の様に大切に育てている様です。
末っ子のサーシャくんは、プルシェンコ氏のインスタグラムで度々登場し、その可愛らしさから、すでにモデルとして活動もされています。
とっても可愛いサーシャくんで、将来が楽しみですね♪
プルシェンコの妻ヤナがやり手でスゴい!
プルシェンコ氏と結婚した、ヤナ・ルドコフスカヤですが、ロシアでは彼女は別の意味で注目されている様です。
そして、ヤナ・ルドコフスカヤは、かなりやり手でスゴい経歴もありました。
ヤナ・ルドコフスカヤは、プルシェンコ氏より8歳年上で姉さん女房のヤナ・ルドコフスカヤ。
大学はアルタイ国立医科大学卒業されていますが、卒業後は医療の道ではなく、ビジネスを初めていて、1998年にビューティーサロンを開設し、2002年には世界的な有名ブランド「フランク・プロボー」の、ロシア国内での排他的経営権を手に入れ、2003年にはブティック・チェーンを開業しファッション界に進出。
その後、ヨーロッパの有名デザイナーと親交を深め、自身もファッションショーにモデルとして登場したり、歌手のプロデューサーを務め、ロシア人歌手ジーマ・ビランは2006年に、ヤナ・ルドコフスカヤのプロデュースでユーロビジョンに出場し、2位になっています。
そして、プロデューサーとして活動をされながら、自身もミュージックビデオやドラマに出演され女優としても活躍しています。
かなりやり手の彼女は、ロシアのショービジネス界において、もっともおしゃれで成功した女性のTOP3に入っていて、グラマー誌の「2007年のもっともスタイリッシュなビジネス・ウーマン」などにも選ばれています。
私生活では、2001年にユーリ・ルシコフ・モスクワ市長の義兄である、大富豪のヴィクトル・バトゥリンと結婚されていましたが、2008年に離婚。
そして2人の息子を引き取り、プルシェンコ氏と結婚されています。
プルシェンコ氏と結婚後は、彼のプロデュースをされていると言われていて、ファッションショーへの出演やスケートショーのツアーなどプロデュースされています。
しかし、プルシェンコ氏が31歳の時に、最後のオリンピックになるかもしれない、ソチオリンピックに出場された際に、団体戦では金メダルを獲得しましたが、その後の個人戦の出場の棄権は、ヤナ・ルドコフスカヤが指示したと言われています。
プルシェンコ氏は、ソチオリンピックの1年前に背骨の大手術を受けていて、痛みに耐えながら団体で見事金メダルを獲得されていたそうです。
個人戦の男子シングルの演技直前に、プルシェンコ氏の背中に入れたボルトに異変が起こり、アクシデントで激痛に襲われ棄権。
ヤナ・ルドコフスカヤは、オリンピック後にアイスショーツアーの計画があり、そのPRとしてオリンピックを利用しようとしていて、個人戦で失敗する姿を見せるくらいなら棄権させた方が良いと、ヤナ・ルドコフスカヤが棄権させたのではないかと批判が集まったそうです。
ヤナ・ルドコフスカヤは、批判を収束させるために、棄権から5日後にプルシェンコ氏と一緒に番組に出演し、プルシェンコ氏を強い口調で擁護し、背骨の手術の様子をテレビで放送され、プルシェンコ氏の棄権疑惑は収束させています。
プルシェンコ氏にとって最高の妻のヤナ・ルドコフスカヤですね!
プルシェンコと妻ヤナの出会いや馴れ初めは?
プルシェンコ氏とヤナ・ルドコフスカヤとの出会いは、ユーロビジョン・ソング・コンテストに出場したことが出会いだと考えられます。
ユーロビジョン・ソング・コンテストは、、欧州放送連合加盟放送局によって開催される、毎年恒例の音楽コンテストです。
このユーロビジョン・ソング・コンテストでは、各国代表のアーティストが生放送で楽曲を披露し、参加国が他国に投票して大会の優勝者を決定する大会です。
この大会で、プルシェンコ氏とハンガリーのバイオリニストであるエドウィン・マートンを率いて出場し、見事優勝されています。
大会に出場したのが、2008年でその翌年に、2人は結婚されています。
スポンサーリンク
プルシェンコの生い立ちがヤバい
続きは次のページへ
コメントを残す