中山茂(なかやましげる)はアマゾンジャングル奥地で暮らす日本人!?理由や過去や今現在はピラニアが食料!?

中山茂(なかやましげる)さんが「世界ナゼそこに?日本人」でアマゾン奥地でたった一人で暮らし自給自足生活をしながら暮らす日本人として出演されます。

 

中山茂さんは今現在、アマゾンで17年間、自給自足のサバイバルのような暮らし、しかも周辺集落の人々に大変感謝されているのとか?

 

中山茂さんは、なぜアマゾンのジャングル奥地でたった一人で暮らしているのでしょうか。

 

そして中山茂さんはアマゾンのジャングル奥地で何をしているのでしょうか?

 

やはり気になりますね。

 

中山茂さんの過去や経緯など調べてみました。

 

では、さっそく♪

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中山茂さんはなぜブラジルジャングル奥地へ?

 

中山茂さんは、1949年福岡県の農家の生まれです。

 

父親が事業に失敗し無一文になったそうです。

 

中山さんが16歳の時に両親と兄弟3人でブラジル、ベレン市へ移住されます。

 

日本では1900年ごろからブラジル移住が盛んでしたが、中山さん家族がブラジルに移住する頃は移住の波も終盤になった頃でした。

 

ブラジルで夢を叶える為に多くの日本人が海を渡りブラジルへ移住されています。

 

中山さんは、移住当初は日本に帰りたいと思っていましたが、20歳の時に日経の商社に就職します。

 

仕事では、ブラジルの各地を回っているうちに、アマゾンのジャングルに魅了されます。

 

もともと、都会で暮らすより、自然あふれる場所で暮らしたいと思っていたそうで、ジャングルにも憧れはあったそうです。

 

そして、中山さんは25歳で会社を辞めてアマゾンのジャングルで生活を始めます。

 

その後、中山さんが30歳の頃にたまたま訪れたアイロンベーリョという村で地主の娘であったマリレーニさんと出会い結婚されます。

 

中山さんは20代のころに1度結婚されていて2度目の結婚となります。

 

しかしマリレーニさんは結婚後1年経たずして病気で亡くなってしましいました。

 

死因は病死でしたが中山さんは死因についてはわからないと言われていました。

 

地主の娘と結婚した中山さんに村人たちは、日本人と結婚したから彼女が亡くなったと言われ次第に村にいずらくなり村を出て行くことになりました。

 

中山さんには子供さんはいないそうです。

 

70年代にはマナウス市に引っ越してネグロ川のほとりに住居を構えましたが、その地域がジャウー公園に指定され放浪生活を余儀なくされました。

 

その後、中山さんは愛する人と暮らしたアイロンベーリョに二十数年後に再び訪れましたが、住民は居なくなり愛する人と暮らした土地は、荒れ果てた地になってしまっていました。

 

そんな時にアイロンベーリョ地区の名士として知られるグローリア・ベゼラ氏から歴史的遺跡の保護を頼まれ、同地区に居住することを決意し、昔のような面影を残したいという思いもありました。

 

中山さんが53歳の時にアイロンベーリョに暮らす生活がスタートしました。

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中山茂さんはアイロンベーリョで何をしてる?

引用|http://redeglobo.globo.com/redeamazonica/

 

中山さんが暮らすアイロンベーリョは19世紀後半から20世紀初頭にかけて天然ゴムブームの最盛期にアマゾン川流域の重要な貿易ポイントとして繁栄していたそうです。

 

アイロンベーリョ地区の名士として知られるグローリア・ベゼラ氏からも歴史的遺跡の保護を頼まれ中山さんはこの地移住されていましたね。

 

アイロンベーリョは何十年も謎が解明していない遺跡があり、訪れて来る研究者や外国人観光客にも中山さんが対応しています。

 

訪れる人々からお金をえることなく少しばかりの物資の寄付だけでされているそうです。

 

中山さんは遺跡やお墓の清掃作業をされながら、オランダのボトルやポルトガルの瓦、天然ゴム全盛期の名残の品など歴史的価値の高い貴重品を収集して小さな博物館も建てました。

 

博物館の中にはこれまで遺跡で収集したポルトガル植民地時代の物などが中山さんの手によって飾られています。

 

そんな、中山さんの遺跡を守る行動を現地ブラジルでも遺跡を守る日本人として取材を数多くされていていました。

 

中山さんがいなければ歴史が消滅してしまうとも言われていました。

 

アイロンベーリョ地区の名士のグローリア・ベゼラさんは亡くなってしまいましたが、中山さんは彼女の写真を何十枚も飾り続けていて「ここにはたくさんの歴史が残っている」と言われています。

 

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中山茂さんのアマゾンジャングルでの生活

引用|http://www.tv-tokyo.co.jp/plus/travel/entry/2018/018002.html

中山さんはアイロンベーリョ村で自給自足の生活をされています。

 

地域保護のために公的機関の援助を受けたことも一度もなく収入は年金だけで約2万6000円。

 

暮らしている家はジャングルから木を切り出し、自分で造った家で暮らしています。

 

電気は発電機を使用し、使用時間は夜7時から2時間しか使っていないくトイレやお風呂はアマゾン川で済ましています。

 

アマゾンのジャングルには毒グモや毒ヘビなど多くいて一度毒ヘビに噛まれてしまったこともあったようです。

 

食料は、菜園を作りアマゾン川で漁業をしピラニアなども食べていて、お気に入りの場所で焚き火などをされていました。

 

焚き火をしているときに坂本九の「上を向いて歩こう」を歌いながらジャングルでの自給自足生活を楽しんでいるようにも見えました。

 

中山さんは2か月に1度、船で片道5時間かかる町まで年金を受け取りに行くのだが、その時にスーパーマーケットで食料品や燃料、衣類、文房具などを大量に買い込み、アマゾン奥地に暮らす人たちの生活に必要なものを無償で援助しているそうです。

 

そして、アマゾン奥地で暮らす人などの読み書きが出来ない人の為に医療から税金、教育などあらゆる相談事に乗っていてとても感謝されています。

 

無償で支援したり相談に乗っていたりと中山さんの人の良さが伝わりますね。

 

そんな中山さんの行動や人間性に周辺集落の人々は「中山さんに娘の命を救われた」「中山さんがいなければ集落の暮らしは成り立たない」と感謝する人も多くいるそうです。

 

中山さんは、たくさんの思い出が詰まったアイロンベーリョ村で今後も遺跡を守り続けて行くことでしょう。

 

中山さんは、「おそらくこの地で今後も過ごすことになる」と話しています。

 

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最後に

中山茂さんは日本から遠く離れたブラジルのジャングルの奥地アイロンベーリョでたった一人で暮らす日本人でした。

 

過去には結婚されていていましたが、わずか一年足らずで最愛の人が亡くなってしまっていました。

 

深い悲しみに暮れて村を離れましたが、再び村に戻るとかつての村はなく荒れ果てた土地になっていました。

 

遺跡の保護も頼まれていて、たった一人で保護活動をしながら周辺地域の人々を助けていました。

 

周辺集落の人の力になって人々から、大変感謝されてもいましたね。

 

日本も都会ですがブラジルも都会だと思います。

 

そんな都会を離れアマゾン奥地のジャングルの中でたった一人で遺跡を守り、自給自足で暮らす中山さん想いは素晴らしいですね。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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