今回は、陸上・女子砲丸投げで活躍されていた森千夏さんについて調べてみます。
6月23日放送のTBS『消えた天才』で陸上、女子走幅跳の井村久美子(旧姓:池田久美子)さんが出演され亡き親友として森千夏さんのエピソードを語られています。
森千夏さんは残念ながら亡くなられていますが、日本の女子砲丸投げを世界レベルまで引き上げた選手といわれています。
森千夏さんは若干26歳の若さで亡くなれていますが、病気の闘病などとても壮絶だったそうです。
そして、親友だった池田久美子さんとの関係や親友の池田久美子さんの現在についてもあれこれ調べてみました。
では、さっそく!
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森千夏選手(陸上砲丸投げ)のプロフィールや経歴は?
名前:森千夏(もりちなつ)
生年月日:1980年5月20日-2006年8月9日(享年26)
出身:東京都江戸川区
学歴:国士舘大学体育学部
森千夏さんは姉と兄との3人兄弟の末っ子として生まれ、幼いころよく食べる子で太りやすかったので、少しでもスリムになるようにと水泳をされていました。
水泳が大好きになり水泳三昧の生活でしたが、進学した中学校に水泳部がなく、陸上部に入部し砲丸投げを初めています。
砲丸投げを始めると、才能を開花され高校時代にはインターハイで優勝されています。
大学に進学するとアジア選手権で準優勝、日本選手権で初優勝されます。
そして、日本新記録を樹立しその後も記録を塗り替えていました。
大学卒業後はスズキに入社されていますが、親友の井村久美子さんも同期入社されています。
社会人でも日本記録を更新され、女子日本人初となる世界選手権に選出され、アテネオリンピック代表にも選出されました。
森千夏さんは、日本新記録を7回も更新するなどして、日本の砲丸投げを世界のレベルまで押し上げ、1964年の東京オリンピック以来40年ぶりにオリンピックに出場されるなどし、日本女子砲丸投げに大きく貢献された選手でした。
しかし、アテネオリンピック代表決定直後から体調に異変を感じ初め、2006年に亡くなられています。
森千夏選手の病気虫垂癌の闘病や死因は?
森千夏さんは、体調に異変を感じながらもオリンピックに出場されましたが、満足な練習ができままの本番で、予選落ちとなってしまっています。
帰国後に、膀胱炎と診断され入退院を繰り返し手術の結果、虫垂がんで膀胱などにがんが転移されていたそうです。
手術では、がんを取りきれず余命20ヶ月と医師から母親に告げられていました。
森千夏さんは病気を早く治して北京、ロンドンオリンピック出場を目標とされていましたが、病気が進行するにつれコーチになり、オリンピックを目指したといわれるくらい復帰を望んでいました。
しかし、なかなか治らない病気に少しづつ気持ちの変化が起こり始めて『パニック障害』も診断されていましいます。
過呼吸や円形脱毛症になり、病院中に聞こえるような大声で叫んだりもされていたそうです。
この当時の事を母親は、『いつか死んじゃう』という不安で、全てが怖かったと思うといわれていました。
森千夏さんは抗がん剤の治療で90キロ台だった体重が50キロ台になり手の骨が浮き出ていたそうです。
余命宣告をされ死と向き合うには早すぎる年齢ですし、誰しも恐怖の淵にたつと思います。
パニック障害を発症されたのも仕方がないでしょうね。
虫垂がんは症例が非常に少なく、保険適応外の治療もあり莫大な治療費が必要な為、母校や日本陸上競技連盟、選手仲間などが募金活動で支援を呼びかけていたそうです。
しかし、2006年8月9日に亡くなられています。
葬儀には、多くの選手仲間が弔辞を読み上げ、親友の池田久美子さんも泣き崩れながら弔辞を読み上げていました。
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森千夏選手の親友池田久美子選手の現在やエピソードは?
森千夏さんと池田久美子さんは同じ年でオリンピックを目指し、種目は違いますがとても仲が良く親友だったそうです。
砲丸投げは日本記録を出しても国際レベルから遠く、走幅跳は国際レベルになるといわれていました。
アテネオリンピックには森千夏さんだけが出場し、池田久美子さんは出場を逃しています。
しかし、池田久美子さんの実力がなかったのではなく、走幅跳の国内のライバル存在が砲丸投げと異なった事だとありました。
お互いに種目は違いますが、同じ世界を目標にオリンピックを目指していましたので、とても分かり合える親友だったのでしょうね。
森千夏さんの葬儀で弔辞では、
久美ちゃん泣かないでね、って言っていそうだね。でも、森ちゃんがいないから寂しいよ…。
森ちゃん、今まで本当にありがとうね。
森ちゃんとは中学の時、全国大会で初めて会ったよね。
お風呂場で声を掛けてくれたんだったよね。スズキに入って一緒に陸上して、遠征先でもいつも一緒で。
一緒に朝ご飯食べようねって約束すると、いつも森ちゃん遅刻して。
何度も迎えに行ったよね。
よくおしゃべりもして、新幹線で大きな声でおしゃべりしてたら、
周りのお客さんに怒られたこともあったよね。
紫が大好きで「久美ちゃんこれ買ったよ」って、
トトロの人形とかよく見せてくれたよね。何より、森ちゃんのこと一番すごいと思ったのは、
砲丸投が大好きで、一生懸命だったこと。
森ちゃんが日本記録を出したときに、私がオメデトーって言っても
「久美ちゃん、私全然嬉しくない。私まだまだだよ」って、
全然喜ばなかったよね。今は森ちゃんの笑顔しか思い浮かばないよ。
久美ちゃん泣かないでね、って言っていそうだね。
でも、森ちゃんがいないから寂しいよ。森ちゃんと私で約束したよね。
北京オリンピックで森ちゃんが20m投げて、
私が7m跳んで、
メダルを目指そうよ、って。
2人で約束したよね。でも、森ちゃん……
森ちゃんは、それができないから、
私が絶対に北京オリンピックでメダルを取って、
森ちゃんのお墓に報告できるように、私頑張るから。
だから森ちゃん、
ずっと陸上のこと好きでいてください。
引用:http://www.rikujouweb.com/
北京オリンピックに2人揃って出場しメダルを獲る事を目標としていましたが、その夢は叶うことはありませんでした。
池田久美子さんは北京オリンピックに出場はされました、予選敗退に終わってしまし森千夏さんとの約束は叶いませんでしたが、オリンピックに出場されるだけでも、すごいと思います。
最後に
今回は、日本女子砲丸投げで日本記録を7回も更新された森千夏さんについて調べて見ました。
森千夏さんは、日本記録を7回も更新され、今でもその記録は破られていません。
日本の砲丸投に大きく貢献され、今でも記憶に残る選手だと思いました。
多くの選手仲間がいて、調べていて多くの人に愛されている選手とも感じました。
もし、ご存命でしたら間違いなく活躍されコーチになられ、砲丸投を盛り上げていた方だと思います。
親友だった、池田久美子さんと親友の仲でお互いにオリンピックを目指していましたが、2人でオリンピック出場の夢は叶いませんでしが、北京オリンピック池田久美子さんは出場されていますので、約束は果たされていると思います。
陸上競技で砲丸投げは、あまり注目されにくい競技ですが、もし森千夏さんが生きていれば、もっと注目される選手であったのかもしれませんね。
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