今回は、三原理絵(みはらりえ)さんについて調べてみます!
三原理絵さんは現在、日本から遠く離れたパキスタンで高齢のお母さんと一緒に暮らしているそうです。
三原理絵さんのお母さんは高齢で現在は、81歳(2018年現在)
なぜそんな高齢の母親と、パキスタンで生活されているのでしょうか?
そして、パキスタンで高齢の母親と暮らしている三原理絵さんを、「世界ナゼそこに日本人」で取り上げられています。
三原理絵さんはパキスタンでお店を営んでいて、人気のお店なんだたとか?
しかし、パキスタンに移住したのは、お店をするためでも、はたまた結婚などの理由ではなく事情があるそうです。
「世界ナゼそこに日本人」に出演されるということは、波乱万丈な人生ドラマがありますね!
そんな、三原理絵さんについてパキスタンの移住理由や、「誠や」という会社を起業されているそうですので会社についてと、私生活についてあれこれ調べてみました!
では、さっそく♪
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コンテンツ
三原理絵さんのプロフィールは?
引用:https://www.innovations-i.com/focus/1495.html
名前:三原理絵(みはらりえ)
生年月日:1977年41歳(2018年現在)
出身:東京都練馬区
学歴:東北福祉大社会福祉中退
三原理絵さんの人生は壮絶な人生でした。
三原理絵さんの幼少期
三原理絵さんは、一人っ子で、口数が少なく厳格な、でも不器用ながら愛をくれる父親と、楽天的で陽気な母親の間に生まれています。
小学生時代には、いじめられている子をかばって、逆にいじめられてしまったこともあったそうです。
幼少期から、正義感の強く優しい、お子さんだったようですね。
祖母が中学生の頃に亡くなり、人生初めてのお葬式を経験し、漠然と「治す」という医療と、「看取り」に興味を持ったそうです。
そして病院の内装や、葬儀会場をもっと明るくしたいなど、理由から高校は都立高校のデザイン美術学校に入学。
高校入学と同じ頃に、アルバイトを経験しデパ地下で働き始めると自分の接客次第でお客さんの笑顔や売上が増える喜びを感じ、いつの間にかバイト店長にまでなりました。
VMDに興味を持つようになります。
VMDとはビジュアル・マーチャンダイジングのことで、視覚に訴えながら、お客様の購買を喚起する、ディスプレイによるマーケティング手法です
高校卒業後はVMD職に就きたいと思い、流通学科の専門学校に入学され、念願だった百貨店の内定が決まりましたが、専門学校卒業前に、父親が脳梗塞で倒れてしまいます。
三原理絵さん社会人時代
父親が脳梗塞で倒れ命は助かったものの、身体障害者1級になり、母親も自暴自棄になってしまいました。
そして運が悪いことに、生命保険の免責期間中で、入院費と住宅ローンの返済が三原理絵さんに伸し掛かってしまいました。
内定していた、百貨店の初任給では支払いの目処がたたず、内定を断りインセンティブのある不動産会社に入社されます。
男性ばかりの職場で必死に頑張りましたが、父親の病状が悪化し通院回数も増え休日が取りにくい不動産会社を退社。
その後、給料の高い管理職になるために、就職されます。
その会社で、1週間の出張の仕事が入ったときに、初めて父親をショートステイにお願いしたところ、車椅子に縛られていた父親も目にします。
その時に、三原理絵さんは、「在宅で最期まで看よう」と母親と決心されています。
父親のアルツハイマー型認知症が進行し幻覚症状や俳諧が多くなり、母親も不安から喘息発作が酷くなり、三原理絵さん29歳のときに介護離職し昼夜逆転生活に。
その頃から、友人たちから誘いの連絡がないことに気がつきます。
友達は、三原理絵さんが介護で大変だからということで、連絡や誘いをやめていたそうです。
そのことに気がつくと、一気に落ち込み寝られない日々を過ごし、友人の勧めで心療内科に行くと、重度の鬱病と診断されてしまいます。
自分では鬱病ではないと認めずにいましたが、食事もお風呂も面倒くさくなり友人の電話にも出られなくなってしまっていました。
そしてとうとう、父親に対して「早く死んでくれればいいのに。。。」と思うようになり、一家心中を試みてしまいます。
家族が寝静まった深夜にガス栓を捻りましたが、愛犬がガスの匂いに気がつき正気に戻ったそうです。
父親が倒れて10年目のことだったそうです。
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三原理絵さんの会社誠やの起業やバイオプロとは?
引用:https://www.exa2011.net/mebius-mihara/
自身の経験から社会的弱者を経験し、社会福祉や人道支援に興味を持ち、東北福祉大学社会福祉学科の通信過程に入学されます。
自分の介護の経験や、知人が突然介護疲れで亡くなってしまったことがあり、「ケアをする人のケアをする役割が必要だ!」と考え方がポジティブ思考へ。
これが転機となって、自身の経験と家族の経験を元に「「その人らしく、その家族らしく、ありのままに明るく介護を楽しむためには?」と考え、「回想療法を交えたセミオーダー介護サービス事業」を企画し2008年9月に「株式会社誠や」設立されました。
株式会社誠やは、仕事や生活におけるストレスや苦痛、体調不良の緩和に役立つ「緩和ケアセラピー」に携わり、認知症患者のリハビリと介護する側のケアを兼ねて回想療法を取り入れた、「思い出再現・パスタイム(気晴らし)サービス」を事業化されていました。
しかし、時期が早かったのか、利用者は増えず、2年ほどすると、他の会社が同じようなサービスを始め、その頃三原理絵さんは長年の介護で腰を痛め、顧客の介護ができなくなり、事業を終了させています。
そして代わって立ち上げたのが感染症予防キット「BIOPRO(バイオプロ)」企画販売とメディカルマッサージ。
これも自身の介護の経験に基づいています。
感染症予防キット「BIOPRO(バイオプロ)」は、抗菌スプレーや抗菌タオル、使い捨てマスク、手袋、エプロンが滅菌袋にセットされています。
父親の介護で、清潔に各種用具を清潔に保つための工夫がされて、袋にまとめています。
自身の経験をビジネス生かしています。
そして、気になるのが三原理絵さんがパキスタンに移住された理由です。
三原理絵さんのパキスタン移住理由
三原理絵さんの結婚.夫(旦那)子供は?
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