井上玲奈とジョン・ボルドウィンの氷上のプロポーズまでの過去壮絶人生や生まれた子供は?

今回は、フィギュアスケーターの井上怜奈さんとジョン・ボルドウィンさんについて調べてみます♪

 

井上怜奈さんとジョン・ボルウィンさんはフィギュアスケートのペアスケーティング選手で、2008年に『氷上のプロポーズ』が日本でも話題になりました。

 

素敵なプロポーズで、CMにも起用されましたが、井上怜奈さんの過去などもわかり、とても感動したのも覚えています。

 

CMでは、井上怜奈さんは早くに父親をガンで亡くしていますが、自身もガンになって闘病されていたと言われていました。

 

『氷上のプロポーズ』後、2人は結婚しその後どうなったのかも気になりますね( ^ω^ )

 

井上怜奈さんの過去やジョン・ボルウィンさんとの出会いなども一緒にあれこれ調べてみました♪

 

では、さっそく♪

 

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井上怜奈さんのプロフィールや経歴は?

 

井上怜奈さんは、1976年10月17日生まれ兵庫県西宮市出身で、父親の転勤で千葉県松戸市引っ越し、4歳からスケートを始めています。

 

スケートを始めたきっかけは、井上怜奈さんは幼いころ喘息だった為、父親が何か運動をと思い、そして近くにスケート場があったのでスケートを始められたとありました。

 

その後、井上怜奈さんはスケートが大好きになり、自ずと結果がついてきてトップスケーターが集まる国際大会で、幼いころから日本代表として活躍されています。

 

中学1年生からペアを組み、中学3年生だった1992年のアルベールビルオリンピックにオリンピック初出場を果たしています。

 

入賞争いには手が届きませんでしたが、ペアでは日本人最高位となる総合14位の結果を残しています。

 

高校生では、女子シングル代表でオリンピックを目指し、国内選考会の全日本選手権では総合2位となり、リレハンメルオリンピックに出場されました。

 

しかし、オリンピック本番ではテクニカルプログラム、フリー共にジャンプを失敗するというミスが続き、総合18位で終えています。

 

大学生になり、1998年の長野オリンピックにも、女子シングル代表で目指しましたが、オリンピック前年の全日本選手権では荒川静香さんが優勝し、井上怜奈さんは3位となりましたが、出場枠が1つだった為、長野オリンピック出場は逃しています。

 

長野オリンピック以降は、再びペア選手として活動を始め、2000年から練習拠点をアメリカに移しています。

 

井上怜奈さんの父親はガンで他界、その後自身もガンに

 

井上怜奈さんが大学生のころに父親に肺がんが見つかり手術されましたが、アメリカに練習拠点を移したころにガンが再発されてしまいます。

 

井上りなさんはスケートはいつでも出来ると思い、父親の看病に専念しようとしますが、父親は自分の病気のせいで娘がやりたいことが出来なくなることは避けたいと考え、母親も父親の希望を聞いてあげるように言われ、親孝行と思いスケートに専念されたそうです。

 

そして、父親は再発から1年で他界されています。

 

井上怜奈さんは、父親が亡くなり何もする気が起こらなくなり、母親と2人になり経済的にも大変になり母親にスケートをやめることを母親に伝えましたが、父親は生前『怜奈がやりたいことは出来る限りやらせてあげてくれ』と言われていたそうです。

 

母親は井上怜奈さんがスケートを続ける為にはアメリカで拠点を移してやることを進め、サポートをすることを伝えました。

 

そして、井上怜奈さんはアメリカに拠点を移し、お土産やさんやお寿司屋さんで働きながら生活の足しにし、充分な衣装もなくのスパンコールを全て自分で裁縫し、母親もいろんな仕事をしながら支えたそうです。

 

しかし、父親がなくなって1年半経ったころ、井上怜奈さんに父親と同じ肺がんが見つかってしまいました。

 

咳が止まらなくなり、風薬を飲んでも止まらず夜も眠れなかったところ、知り合いに進められ検査を受けた結果初期の肺がんだとわかりました。

 

不幸中の幸いで早期発見、進行の遅いガンだった為、肺を手術で取らずに済み、抗ガン剤と放射線で治療することが出来、スケートを続ける為の肺活量などに影響を受けず治療することが出来たそうです。

 

そして、ガン発覚から半年でリンクで練習を再開されています。

 

父親もガンで亡くしていて、井上怜奈さんもガンになり母親はすごく辛い思いと心配をされたそうです。

 

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井上怜奈さんとジョン・ボルウィンさんの出会いは?

 

井上怜奈さんとジョン・ボルウィンさんとの出会いは2000年頃に出会っています。

 

ジョン・ボルウィンさんの父親から何度も電話があり最初は断っていました。

 

井上怜奈さんはこの頃、あと1年シングルで選手生活をしたら引退をしようと思っていました。

 

しかし、彼の父親から何度も連絡があり、1度ペアで滑ってみたところ、意外としっくりきたと思い、どうせあと1年という気持ちで上手くいかなくていいくらいの気持ちでペアを受けることにしたそうです。

 

ジョン・ボルウィンさんは、子供時代にシングルで世界ジュニア選手権で3位になったこともあるそうですが、スケートをやめたいと思っていました。

 

しかし、父親が伸び悩む彼に、闘病を続けながらスケート頑張る井上怜奈さんと引き合わせることで、屈強を乗り越えさせようと思ったともいわれています。

 

井上怜奈さんは、アメリカの試合に出る為に永住権を取得し、全米選手権までにテストを受け、予選会にも数ヶ月で出場しなければいけない状況でした。

 

しかも、時間がない中でジョン・ボルウィンさんは手の甲を骨折し、井上怜奈さんは足を疲労骨折されて、追い討ちをかけるように宙返りで転落してしまい大怪我されてしまいました。

 

怪我の内容は、頭蓋骨骨折し前歯も折れ、卵巣を片方破裂し卵巣を摘出されています。

 

そして、後遺症で心的外傷後ストレス(PDSD)になってしまいました。

 

その後に出場した全米選手権の結果はビリから2番目でした。

 

スケートや辞めたいと思っていたジョン・ボルウィンさんでしたが、井上怜奈さんに『時間をかけてちゃんと練習したら、絶対いいチームなれる。あと1年真剣に頑張ってみたい。怜奈はどう?』とペアを続けることをいわれました。

 

そして、時間をかけて練習をされ、2004年・2006年の全米選手権で優勝し、さらに2006年のトリノで史上初のスロートリプルアクセルも決めました。

 

氷上のプロポーズが話題に!日本語字幕付き動画

 

2008年に全米選手権に出場した2人ですが、演技終了後に観客が見守る中、ジョン・ボルウィンさんがプロポーズされます。

 

演技終了後のプロポーズで感動しますが、井上怜奈さんの壮絶な人生を知ると、本当に感動しますね。

 

早くに『ファン1号』出会った父親を亡くし、自らも同じ病気になり、練習中の大怪我を乗り越えられている井上怜奈さん。

 

この『氷上のプロポーズ』は多くの人の心に残りました。

 

そして、日本でも話題になりアフラックのCMにも起用されています。

 

 

その後2人は、バンクーバーオリンピックでの引退を表明し、2010年の全米選手権に出場されましたが、総合点でわずか0.60点2位に及ばず3位となり、バンクーバーオリンピックの代表を逃し引退されています。

 

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井上怜奈さんとジョン・ボルウィンさんの子供や現在は?

 

井上怜奈さんとジョン・ボルウィンさんは、スケート競技を引退され結婚されています。

 

井上怜奈さんは、過去に練習中の大怪我により卵巣を片方破裂し摘出されています。

 

しかし、2011年に長女、2015年に次女を無事に出産されていました。

 

現在は、アメリカで暮らしていて、ジョン・ボルウィンさんは父親と一緒に自動車の販売業をされてるようです。

 

しかも、自宅は大豪邸なんだとか!

 

きっと幸せな生活をされているのでしょうね( ^ω^ )

 

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最後に

井上怜奈さんは『氷上のプロポーズ』で話題になりましたが、父親の死や自らの病気や怪我を乗り越えていました。

 

その事実を知って、プロポーズを見ると改めて感動しました。

 

壮絶な人生を乗り越えている井上怜奈さんと、それを支えるジョン・ボルウィンさんですので、どんなことがあっても2人で乗り越え、幸せでいることを願いますね。

 

ちなみに、ジョン・ボルウィンさんは、プロポーズを考えたのは、当日の朝だったそうです。

 

朝起きた際に、その日の演技がうまくいくという根拠のない自身があり、その時に思いついたそうです。

 

ですので、当日は指輪の準備もなく、試合が終わって宝石屋さんに行かれたみたいですね。

 

とても素敵でドラマのようなプロポーズでしたね。

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

 

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