春一番(芸人)の嫁(妻)のブログが泣ける!死因やアントニオ猪木とのエピソードはや今現在は?

芸人・春一番さんの奥さんが爆報フライデーで今現在、夫ロスで引きこもりになっているとありました。

 

春一番さんはアントニオ猪木さんのモノマネで有名で、唯一アントニオ猪木さんが公認しています。

 

アントニオ猪木さんとは、生前は交流もあり、公私ともに親交がありました。

 

爆報フライデーのMCである、爆笑問題とは同期芸人で今回、爆笑問題結成30周年企画で春一番さんの壮絶な死の裏側を公開されています。

 

そして、春一番さんが亡くなった後に綴ったブログの内容が泣けるとありました。

 

アントニオ猪木さんと春一番さんのエピソードなども気になります。

 

亡くなって、今現在も、多くの人に愛されている春一番さんについて調べてみました。

 

では、さっそく!

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春一番さんはどんな人だった?

芸名:春一番(はるいちばん)
本名 :春花 直樹(はるはな なおき)
生年月日 :1966年8月13日
没年月日 :2014年7月3日(47歳没)
出身地: 神奈川県
師匠 :片岡鶴太郎
事務所: アネット

動画は春一番さんと神無月さんですが、どちらもかなり若いです。

 

春一番さんは片岡鶴太郎さんに弟子なんですね。

 

学生時代は、高校を素行不良で最初の一学期で中退されて、悪い仲間と切り離させる為に、両親が埼玉県の親戚の家に預けたそうです。

 

その後、サラリーマンとして就職されていますが、「このままじゃ半端なチンピラになっちゃう」と高校を一年で中退して上京、芸人を目指して片岡鶴太郎さんの付き人になったとも言われていました。

 

本名は春花 直樹といい、片岡鶴太郎の奥さんが名前の画数診断をしたところ本名だと画数が悪いと言われ春一番と芸名になったそうです。

 

苗字の春花の「春」をとり、芸人で一番を目指す意味と、春一番の風の様に強い風を吹かすという思いを込めて、片岡鶴太郎さんが芸名を命名されました。

 

春一番さんは子供の頃から、アントニオ猪木さんの大ファンで、小学校の文集には、「猪木さんそっくりのプロレスラーになる」と将来の夢にも書くくらい大ファンだったそうです。

 

その後、アントニオ猪木さんのモノマネでブレイクし、アントニオ猪木さんが唯一公認しているモノマネ芸人として活躍されます。

 

『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』で活躍し、ビートたけしさんは、この番組を、若手の育成の場所と考えていて、春一番さんにも、目をかけていました。

 

春一番さんは、飲むことが好きで、周囲の人たちからかなり心配されるほどだったそうです。

 

目をかけていたビートたけしさんは、飲むのを止めれば自身の番組で一生使ってやると、言われたり当時の同じ事務所の先輩だった、ダチョウ倶楽部は家に電話をかけて飲んでいないか確認したりされていたそうです。

 

そのほかにも、多くの芸人仲間が心配されていました。

 

しかし、春一番さんは、やめることは出来ずに飲み続けていたそうです。

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春一番の病気や死因は?

春一番さんの病気について色々あり、死因は肝硬変とありました。

 

病気については、アル中などが多く言われていましたが、ある病気を抱えていました。

 

それは、皮膚病の乾癬(かんせん)という病気です。

 

乾癬(かんせん)は皮膚が剥がれ落ちる病気で、赤い発疹にフケのようなものが付着しポロポロと剥がれ落ちる病気です。

 

かゆみなどもありますが、全身の発熱や関節炎もでるそうです。

 

春一番さんがこの病気になったのは2005年頃でした。

 

番組でクイズに失敗すると、カレー粉入りのプールに落ちるという企画で、春一番さんはこの頃から皮膚に以上が現れてきたそうです。

 

乾癬の原因はわかっていませんが、皮膚の免疫に異常な反応が現れ、発病したのではないかともありました。

 

免疫の異常ですので薬を処方されますが、皮膚病は徐々によくなりましたが、薬が副作用があり、機能障害を引き起こしてしまったそうです。

 

春一番さんは「腎不全」を発症され、さらに「肺膿瘍」、「肺気胸」を併発して生死さまよう状態にまでなってしまいました。

 

その後、奇跡的な回復をされ仕事復帰されていますが、2014年に亡くなってしまいます。

 

死因については、アル◯ール性肝硬変ともありましたが、2005年の大病の影響も少なからずあるのかもしれません。

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春一番の嫁のブログが泣ける

引用:https://ameblo.jp/halu1ban/entry-11892384612.html

春一番さんは1997年に3歳年下の綾さんと結婚されています。

 

綾さんは春一番さんのマネージャーをされていて、長年支えて来られていました。

 

2人は、とても仲の良い夫婦でしたが、子供さんはいませんでした。

 

子供については、「子どもは俺達がまともな大人になってからつくろうと言っていたのでいません。」とブログにありました。

 

春一番さんが亡くなられた後に、春一番さんのブログを更新していましたが、内容がとても泣ける内容でした。

 

亡くなられたのは、夜に薬を飲んで就寝し、隣で寝ている綾さんが異変に気づき病院に運ばれましたが亡くなってしまったそうです。

 

春一番さんは、突然亡くなってしまい、綾さんと最後に話した会話は「ごめんね」という言葉だったそうで、綾さんはその言葉を悔やんでいました。

 

亡くなる前日2日の日、私は目眩と頭痛でずっとベッドにいました。
春さんが「お腹すいたよ」とか「お話ししようよ~」とか言っても「頭痛いから寝かせて」と断ってました。

春さんは甘えん坊なので、寝る時は私が布団を掛けてあげないと拗ねます。
「フサーやって」と掛け布団を私が掛けるのを実行するまで言うので「はいフサー」と掛けました。

春さんとの最期の会話が「ごめんね」(私が体調悪いのに布団をフサーしたから)なんて悲しすぎます。

それでも春さんは苦しまずに眠ったまま事切れたので、そこだけは良かったと思います。
引用:https://ameblo.jp/halu1ban/entry-11892384612.html

夫婦には子供がいなかったので、春一番さんが子供のような存在でもあったのかもしれませんね。

 

突然亡くなってしまっているので、後悔も残ると思います。

 

しかも最後の会話が、自身の体調を気遣った言葉だったのも後悔してしまいますね。

 

春一番さんが亡くなって、夫ロスになってしまっているとあり、爆報フライデーではアントニオ猪木さんと再開されています。

 

少しでも前に進めると良いですね。

 

綾さんのブログの全文はこちらから読めます。

 

https://ameblo.jp/halu1ban/entry-11892384612.html

春一番さんとアントニオ猪木さんのエピソード

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