「ガイアの夜明け」にミツフジという会社が紹介され社長の三寺歩(みてらあゆむ)さんと父親で先代の三寺 康廣(みてら やすひろ)さん出演されます。
「ガイアの夜明け」は日本と海外の経済やビジネスに着目し復活にかける人たち注目する番組ですがミツフジという会社も京都の老舗繊維メーカーだったのですが廃業の危機に陥っていたとか?
しかし息子さんの三寺歩さんが社長に就任してからそれまで無名で廃業の危機にあった会社を立て直し社長就任からわずか数年で日本ばかりでなく世界中から注目される会社にまで復活を遂げています。
番組ではミツフジの開発した導電性に優れる「銀メッキ繊維」や「ウェアラブル(着用できる)端末」に着目していますが社長就任から数年で倒産寸前の会社を復活させ世界中から注目される会社にまで成長させた三寺歩さんはいったいどんな人なのでしょう?
とても気になったので一般人の目線で調べてみました(笑)
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三寺歩さんはどんな人?
引用|https://forbesjapan.com/articles/detail/20541
三寺 歩(みてらあゆむ)さんは1977年2月京都生まれで立命館大学経営学部卒業していますね。
立命館大学と言えば、伝統ある私学の大学で関西の私学の中ではトップクラスとも言われていますね。
実家は三寺さんのお祖父さんが西陣帯工場創業されていて父親が後を継いだ時に西陣織の技術をベースに銀メッキ繊維という繊維の開発をされています。
こうやって聞くと三寺さんは長男ですので会社の跡取りとして立命館大学経営学部に進学されたのかと思いましたが三寺さんは会社を継ぐ気は幼い時から無かったそうです。
三寺さんは大学在学中に海外在住者向けのネット書店『ねっとほんや」友人達とを起ち上げています。
今ではネットで本を買うの当たり前ですが三寺さんが『ねっとほんや』を起ち上げた2001年はアマゾンなども日本に上陸しておらず海外に暮らす留学生やビジネスマンなどに向けて書籍情報など提供し交流もできるネットビジネスを起業しています。
ネットビジネスを始めたのは三寺さんが大学を卒業する年は就職氷河期でネットビジネスは保険のようなものだったそうです。
三寺さんはこの頃、父親とは確執がありネットビジネスを起ち上げた三寺さんに「お前がやっている事はままごと」と言われ就職活動の際にも「町工場の息子なんやから、製造業に就職しろ」と言われそうです。
父親は「魔法の糸」と呼ばれる銀メッキ繊維を製造するアメリカの会社の独占販売権を得てメーカーと研究開発に取り組み「消臭靴下」や「宇宙飛行士用の下着」などを開発しています。
父親の康廣さんは「銀メッキ繊維は世界の市場を取る」と口癖のように言っていましたがいつまで経っても会社は大きくならないと思っていました。
大学卒業後は就職氷河期を乗り越え家業を継ぐ事なく松下電器(現パナソニック)就職されています。
就職後はシスコシステムズ(世界最大のコンピュータネットワーク機器開発会社)やSAPジャパン(企業向け基盤システムなどを提供するヨーロッパ最大級の大手ソフトウェア会社の日本法人)などIT企業で営業職の経験もされています。
この営業職の経験も会社再生の経験に繋がったそうです。
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父親の会社を継ぐきっかけ
三寺さんが会社を継ぐきっかけは父親からのSOSだったそうです。
順風満帆に自分の人生を歩んでいた三寺さんですが、父親が経営する会社は三寺さんが里帰りをするたびに衰退しているの目の当たりしていたそうです。
父親からの電話で資金がショートし路頭に迷うと言う内容だったそうですが三寺さんは最初は助ける気などは無かったそうですが、その電話の後から仕事が手につかず、眠れないくらい悩んだそうです。
祖父が起こした会社によって、自分は大学まで出してもらった。その会社が潰れようとしている。“育ててもらった分のお金を返すときがきたか”。再就職先なら何とでもなる。これまで祖父母や親が自分にかけてくれたお金を計算して、「同額を稼いで返したら辞める」
と決意し勤めていた会社をやめ父親の会社に入社しました。
父親の会社は祖父が亡くなった後に工場や土地は人手に渡り、雑草がアスファルトの割れ目からはえた駐車場の片隅に立つ小さなプレハブ小屋で外にある簡易トイレはドアが錆び閉まらない状態だったそうです。
変わり果てた風景をみて父親の堕ちぶれた会社前に立った時に三寺さんは、悔しくて涙がでたそうです。
会社の再建
ほったて小屋からのスタートでしたが三寺さんは、まず会社の主力製品をの利益率の高い「銀メッキ繊維」一本に絞り他の製品は捨てたのです。
「銀メッキ繊維」は利益率が高いだけでなく取引先にパナソニックやソニーなどがあり取引は少量で三寺さんは気になり訪ねてみると多くが大企業の研究所などだったそうです。
「銀メッキ繊維」は電気を通す導電性に注目してウェアラブルの研究をしていたことがわかったのです。
ウェアラブルとは腕時計、メガネ、衣服などに情報通信端末を装着し、血圧、心拍数、消費カロリーなど日々の活動データなどを収集する事で、英語で「wearable」が「身につけられる」と言う意味になります。
その後三寺さんは会社の取引会社の8割の取引を辞め利益率の高い「銀メッキ繊維」のみし、さらに当時の売価の4〜5倍に値上げし原価ベースから価値ベースで価格設定をし利益を開発とお客のフォローアップに当てると言うことです。
「銀メッキ繊維」と言う主力製品はありましたが自前の最終製品を持っていなかったためメーカーの生産スケジュールに左右され自社でそ主体的な事業展開ができなかったのです。
その後「銀メッキ繊維」から自社でウェアラブル製品を開発していき製品化を目指しデーター送信のトランスミッター(信号を送り出す電気的、電子的機器 送信器)クラウドの開発までトータルに開発し、顧客の要望に合わせたカスタマイズサービスを最終製品にする事に成功しました。
自身の経験である「ねっとほんや」や、その後IT企業での経験と祖父と父親がつくりあげた製品を融合させトータルでプロデュースし会社を立て直しに成功したのです。
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三寺歩さんは結婚は?
数年前まで倒産寸前だった会社を日本だけではなく世界中から注目される企業まで成長させた三寺歩さんは努力の人で育ててもらった祖父母や親に恩返し為に会社を再建したすごい人ですね。
こんなにすごい人なら結婚されているのか調べてみましたが情報はありませんでした。
画像など調べてみて指輪などもされていないので独身なのかな?っと思いました。
父親の会社の再建でそれどころではなかったのかもしれませんね。
しかし年齢的にもご結婚されていてもおかしくない年齢ですし素敵な人ですので結婚されているのかもし、会社も復活させたのでこれからかもですね。
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まとめ
「ガイアの夜明け」に出演されるミツフジの社長、三寺歩さんは、お祖父さんの代から続く老舗繊維工場の長男でしたが当初は会社を継ぐ気などなく働いていました。
しかし父親からのSOSで育ててもらった祖父母の代から続く会社の立て直しをされました。
社長就任からわずか数年で世界中から注目される会社まで復活させていました。
以前は父親との確執などもありましたが、父親がつくりあげた物と自身の経験であるITを融合させ業績を拡大させる事に成功されていました。
三寺社長がよく社員に話す事例があるそうです。
全日空の話で、全日空は前身は2機のヘリコプターから始まった会社ですが60年後の現在は日本を代表するエアラインになっています。
そこにはあるのは創業者たちの「挑戦し続ける」「強く生まれ変わる」強い気持ちがあり当時、日本航空が日本の航空会社として存在してた時に、誰もがバカにしたであろうこの創業者たちのが困難を乗り越えたのが、今の全日空を作ったのだと。
家業を継いだ三寺さんは
これまで生きてきて与えてもらったことが多くあると思うんです。家業の商売が生み出した利益で育ててもらったこととか、家族の縁やつながりとか、そういったものを大事にできると新しい価値が生まれる気がします
とても素晴らし人ですね。
これから日本の経済や発展の為にも活躍していただきたいですね。
今後のご活躍に期待したいですね。
最後までお読みいただきありがとうございました。
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