福田和子と子供(息子)との関係や罪は?事件を起こした母親を慕った理由は?




平成が終わることで、平成のニュースや事件が話題になっています。

1997年(平成9年)松山ホステス殺害事件で、時効寸前で逮捕された、福田和子元受刑者も印象に残った平成のニュースとしてメディアで取り上げられています。

福田和子元受刑者が事件をお起こした当時は、殺人事件には15年と時効があり、時効まで後、21日と迫った日に逮捕され、当時話題になりました。

その後、逮捕され事件の真相や、逃亡生活などがわかりまるで映画やドラマの様で、再現されたドラマや、事件を元にした映画などもあります。

逃亡生活の真相では、子供や親戚などに連絡をとったり、息子と一緒に暮らしたことなどもわかりました。

そして、福田和子元受刑者の息子で長男は、インタビューなどにも答えていて、殺人を犯した母親を、憎むどころか慕っていると答えていました。

長男は逃亡中の福田和子元受刑者と一緒に暮らしたこともありましたが、罪には問われることもなかったそうです。

事件の真相や、福田和子元受刑者の母親としての顔や、長男が母親を慕っていた理由について、調べて考えてみました。

では、さっそく!

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福田和子が起こした松山ホステス殺害事件と動機は?

松山ホステス殺害事件は、1982年に愛媛県松山市のマンションで元同僚であった、福田和子に殺害された事件です。

殺害後には、マンションから夫と一緒に家財道具を運び出し、被害女性の遺体を松山市内の山中に遺棄し逃亡しました。

殺害後、夫は福田和子に自首を進めていますが拒否し、夫は死体遺棄の共犯で逮捕されています。

事件を起こした動機については、明確な公表などなく、推測による動機が上げられています。

福田和子と被害者女性は、一緒に働いていて、被害女性は、店のナンバー1だったそうです。

殺害動機は、福田和子には借金があり、当時の不倫相手には『裕福な家の出』と見栄をはり、その嘘を繕うために、店のナンバー1ホステスの女性の部屋にあった高価な家具に目をつけ、殺害したそうです。

そして、夫が自首を進めますが拒み、逃亡した動機については、過去に福田和子は18歳のころに同棲していた男性と強盗に入った罪で、刑務所で服役したことがあったのです。

そして、服役中に暴力団組員が看守を買収し、女性受刑者を強姦するという事件が起こり、福田和子は強姦されていました。

そのこともあり、刑務所に入ることを恐れ、自首をせず逃亡したそうです。

福田和子の逃亡生活は?

福田和子は14年334日の逃亡生活を送っています。

逃亡中では、たくさんの偽名を使い、美容整形を繰り返し、警察の捜査から逃れています。

石川県では約6年潜伏生活をし、スナックで小野寺忍という名で働きだし、整形を施した福田和子は見違えるように明るくなり、客のあしらいがうまくなっていき、印刷メーカーに務めている男性と同棲生活を始めます。

しかし、新たな出会いが福田和子に訪れます。

和菓子メーカーの若旦那で、福田和子にとってかなり魅力的な男性でした。

福田和子は、同棲していた男性の家から家財道具ごと姿を消し、和菓子メーカーの若旦那と同棲を始めます。

若旦那は結婚していましたが、福田和子と同棲を始めて9ヶ月後に離婚し、福田和子は内縁の妻として暮らし始め、近所でも評判の良い奥さんとして和菓子屋で働き始めます。

和菓子メーカーの若旦那は前妻との間に子供がいて、その子供を見るたびに、実の息子を思い出したそうです。

そして、福田和子は実の息子に会いに行き、自分の息子を甥だと良い、和菓子店で住み込みを若旦那に頼み、一緒に暮らしだします。

その後、内縁の妻だった福田和子を正式に籍を入れようと、迫られその場合しのぎで何度も断っていると、身内が疑いを持ち始め親戚が、甥といって働いていた息子の荷物を調べ、運転免許証でウソがバレてしまいます。

逃亡から5年6ヶ月で警察は福田和子の逮捕に動きますますが、警察の動きに気が付いた福田和子は、間一髪で自転車を盗み着の身着のまま息子を置いたまま逃亡しました。

そして、この一件で再び福田和子の名前が全国に流れ、整形をしていたことから『7つの顔を持つ女』と呼ばれるようになり、指名手配写真も、整形後の写真へと変わりました。

その後、整形後の指名手配写真や石川での逃亡の件で、福田和子のニュースが流れた為、福田和子は1つの場所に長く滞在することを辞め、周囲に不審に思われると同時に姿を消し、様々な場所を転々とし北は北海道、西は山口まで逃亡しています。

そして、事件から14年が経ち、時効まで後1年になったところ、警察は懸賞金100万円をかけ逮捕に向けて動き出します。

当時初めて懸賞金100万円と、福田和子の肉声を公開し、テレビの特別番組が放送され、福田和子が頻繁に通う店の常連客が見ていて、喋り方が似ていることに気がつきました。

そして、福田和子が訪れた際に、指紋がついたビール瓶が決めてとなり、店を出たところ逮捕されています。

長い逃亡生活で、時効成立まで21日前で、14年344日の逃亡生活が終わりました。

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逃亡中の福田和子と暮らした長男の罪は?

福田和子の逃亡生活中で、一緒に暮らした男性達や周りの人物には、正体がバレていませんでしたが、実の息子は真実を知っていて、一緒に暮らしていますが、罪になっていません。

犯人を隠した罪にならないのか気になりますが、刑法105条に犯人蔵匿罪の特例措置があり、自分の親族のために、それをした場合は刑罰を科さないで済ませてよいと定めてあるそうです。

ですので、息子は殺人を犯した母親と知っていて、一緒に暮らしていても罪にはならなかったのです。

福田和子は、長男は14歳のころに事件を起こし、逃亡していますが、長男は母親を憎んだりしたことはなく、むしろ慕っているとありました。

人を殺めて、家族を捨てた母親を慕っていたのか気になります。

長男は福田和子を慕っていた理由は?

福田和子は『7つの顔を持つ女』と呼ばれていて、逃亡中には偽名を使い嘘をつき続け、魔性の女や凶悪犯のイメージがありますが、母親として子供を思う一面もありました。

子供を思うあまりに、わざわざ危険犯し長男と一緒に暮らしています。

長男は、14歳の時に母親と父親と別れて暮らしていますが、長男は母親のことを『尊敬できるお母さん』と答えています。

人を殺してし、家族を捨てて逃げている母親であれば、恨んでもおかしくはないですが、福田和子は子供に対しての愛情は、深かったとありました。

そして、その愛情が子供達にも伝わっているようです。

長男は、福田和子に結婚の報告を紹介し、逮捕後2003年に刑が確定しましたが、2005年に刑務所内で脳梗塞で倒れ、亡くなる前に長男は『ママ、ありがとうね。ママ』と告げると、福田和子は静かに息を引き取ったそうです。

長男は現在結婚され、家族と幸せに暮らしていて、母親を恨む気持ちは欠片もなく、あるのは感謝の思いと自分の子供にも同じように愛情を注いで行きたいと、言われていました。

長く一緒に暮らしている家族でも、恨んだり憎んだりすることもありますが、福田和子の子供に対する愛情が深く、子供にも伝わっていたのでしょうね。

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