与座聡はマダガスカルで無償で救う形成外科医師!きっかけやプロフィール,病院は?世界の医療団のスマイル作戦とは?

今回は、形成外科医の与座聡医師について調べてみます。

 

与座聡(よざさとし)医師は、東アフリカの秘境の島国のマダガスカルで貧しい人々を無償で救い続けるおじいちゃん医師として「世界ナゼそこに日本人 アフリカの秘境で奮闘し、大感謝される日本人医師2HSP」で紹介されます。

 

与座聡医師は日本で、整形外科医としても活躍されていて、過去には「情熱大陸」でも取り上げられるほどの形成外科医。

 

しかも、与座聡医師はおじいちゃん医師として、番組で紹介されていて、高齢の体は体力の限界を痛感しながらも、アフリカの医療現場に立ち続けているそうです。

 

与座聡医師がなぜ、マダガスカルで貧しい人々を救い続けているのも気になりますね。

 

日本でも活躍されていて、メディアに紹介されるほどの与座聡さんについて、きっかけやプロフィールなどあれこれ調べてみました!

 

では、さっそく♪

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与座聡医師のプロフィルや経歴は?

名前:与座聡
読み方:よざ さとし
生年月日:1955年 63歳(2018年現在)
職業:医師(美容外科・形成外科)
専門:顔面骨切り・フェイスリフト・脂肪吸引・重瞼など
所属:百人町アルファクリニック前医師
   世界の医療団 理事
出身:沖縄県宮古島
学歴:岡山大学医学部卒業

 

主な経歴
1982年 岸和田徳州会病院外科
1988年 東京警察病院形成外科
1990年 ニューヨーク医科大学形成外科(NYU)短期研修
1991年 福島大学皮膚科形成外科診療班 研修
1993年 アルゼンチンJULLY CLINIC研修
1995年 フィリピン・ミンダナオ島 医療ボランティア
1996年 ルワンダ・キガリ 国際医療ボランティア、メデゥサン・デュ・モンド
1997年 東京警察病院辞職
1998年 医療法人社団知足会 百人町アルファクリニック 設立
201710月 百人町アルファクリニック前医院長

 

与座聡医師は沖縄県宮古島出身です。

 

苗字の感じから、沖縄ぽいとわかる人も多いですね。

 

与座聡医師は、幼少期から空想癖があり、空が飛べると思い屋根から飛び降りて足をくじいたり、学校の帰りに家を通り過ぎてしまい道に迷ってしまったりとちょっと変わった子供だったそうです。

 

本を読んだり、空想をしたり、虫を捕まえたりとい子供時代で、祖母からはまともな人間になれないかもため息をつかれていました。

 

与座聡医師は祖母の影響を受けて育ったと言われていて、年寄りの不思議な話や言い伝えなどが好きだったそうです。

 

  • 木々や石には精霊が宿っている
  • 勝手に拾ってきたり木を切ったりしてはいけない
  • 夜中の道で後ろから名前を呼ばれたら、再度呼ぶまで待ちなさい
  • 一度だけだと精霊がいたずらをしているので何かを見てしまうから気をつけなさい

 

などの、不思議な言い伝えの話を聞いて、そんな話が好きで目に見えるものだけが、世界を造っているのではないと刷り込まれて育ちました。

 

そのせいで、マダガスカルを訪れた時に、バオバブの木に棲んでいる精霊を感じてしまい、心の中で挨拶をされたそうです。

 

精霊が宿っていたのでしょうね!

 

そして医師としては、与座聡医師は最初から形成外科医ではなく、外科医だったそうです。

与座聡医師の形成外科医を志したきっかけは?

 

与座聡医師は外科医として医療に携わっていましたが、外科医になった当初は、形成外科という分野をあまり知らなかったそうです。

 

与座聡医師はの「外科の夜明け」という本に啓発されたそうです。

 

 

当時の理由に「至極青臭い理由であった」と言われていていました。

 

外科医をされていた頃は、亡くなる患者さんを診ることも多く、外科医の大義でもある「手術で治す」ということが、果たせないことも多かったと言われていました。

 

若い医者でも白衣を着ていれば、若く経験がない医者でも患者からみれば「命を助けてくれる人」として感謝され、患者側からすると医者の能力がわかりにくいと思われました。

 

与座聡医師は、そんな現状に疑問を持ち、形成外科の分野は成功か失敗を一眼でわかることを目の当たりにし、自分は仕事として形成外科医が向いていると思い学ぶことを結されています。

 

そして、当時最も症例が多かった東京警察病院で学ぶことを決め、そこで様々な技術を学びました。

 

東京警察病院では、形成外科の手術だけではなく、「美容」という分野もしっかり見ていて、形成外科をの分野を学びながら、より形へのこだわりが強くなり、美容外科へと向かいました。

 

海外留学などもされ、美容外科のコンセプトやなぜこの分野があるのかを深く理解されましたが、同時に医師としての職業の考え方にも変化がありました。

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与座聡医師のマダガスカルで無償で貧しい人を救う理由は?

 

美容外科へと進むために、いくつか海外留学をされていて、医師としての考え方が変わったと与座聡医師は言われていました。

 

ニューヨークに留学されていた頃に、形成外科部長が自ら、エイズ患者が多い公的病院に毎週手術を行っていたそうです。

 

しかも、その手術はボランティアでされていました。

 

エイズ患者の手術は、自らの身にも危険が及ぶような環境なのになぜボランティアで手術をされているのか思わず訊ねると、その医師から逆に「医師として一番大事なことではないのか」聞かれたそうです。

 

そして、「形成外科医として一人前になったら、そういうことをやりなさい」と言われました。

 

どんな立場でも、奉仕することが当たり前だという文化に、大きく影響を受け、現在でも良く覚えていると言われています。

 

医療の本質はボランティアにあると、主任教授に言われたのがきっかけで、留学から帰国後、しばらくしてフィリピンのミンダナオ島でアメリカ形成外科医が主催するミッションに招待され参加されています。

 

当時は、イスラム教徒とゲリラ戦が日常的に行われていて、制限された環境中で、より良い結果を出すための医療技術を学んでいました。

 

その後、フランスの国際医療ボランティア団体「世界の医療団」から、与座聡医師の勤務する病院に日本人形成外科医の参加打診があり、フィリピンでの経験がある与座聡医師に白羽の矢があたり参加をされています。

 

そしてルワンダに赴くことになった与座聡医師。

 

内戦で、50万にが虐殺され国に5人のメンバーで首都キガリへ行き、何とか2週間を乗り切りました。

 

首都キガリは、建物の窓ガラスはほとんど破損し、宿泊場所への道すがら焼かれた車が散見し異様な臭いに包まれていたそうです。

 

そして、帰国して暫くたってから、後に派遣されたスペインチームが手術中、ゲリラに襲撃され亡くなったと聞かされました。

 

与座聡医師は国際医療奉仕活動に携わることで、美容医療関係者が一目を置く存在になられています。

 

「世界の医療団」での「スマイル作戦プロジェクト」のボランティアに参加しアフリカ、ルワンダ、ニジェールなどの国に年に平均2、3回、1週間から1ヶ月程、医療奉仕活動に参加され課されています。

 

与座聡医師が参加する世界の医療団のスマイル作戦とは?
与座聡医師の病院(クリニック)は?

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